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2013/11/4 パリ管

2013年11月4日  パリ管弦楽団(都民劇場音楽サークル)   東京文化会館
ジャン・フレデリック・ヌーブルジェ(ピアノ)
ドビュッシー  牧神の午後への前奏曲
ラヴェル  左手のためのピアノ協奏曲
 
 
 前回2011年11月の来日公演(メインが幻想交響曲)は、ぶっ飛びの名演だった。
 パリ管、今ひょっとして絶好調ではなかろうか。近年の世界オーケストラ・ランキングだとトップ10から外れてしまうが、私の評価はこのところ赤丸急上昇。
 この快進撃は、やはり指揮者ヤルヴィの存在が原動力になっていることは間違いない。契約任期も延長されたとのことで、まさに両者の結実が最高の形で成果に表れている証と言っていいだろう。
 
 ということで、今回も期待が高まる公演である。
 まず、プログラムがいいではないか。本場フランスのオケだからというだけで、毎度毎度これまでも、そしてこれからも「幻想」「オルガン付き」「海」といったプログラムの繰り返しになるこの国で、プロコフィエフを聴ける機会は貴重だ。
 
 プロコの5番は、ヤルヴィが2002年1月にN響に客演した際にも採り上げられた。10年以上も前の公演だが、素晴らしい演奏だったことを今でもはっきりと覚えている。
 
 ただし、この時のN響と今回のパリ管の演奏とでは、印象が大きく異なった。
 
 N響は、なんと言うか、あたかも青白いバーナーの炎のような、どこか冷徹で内に秘めたエネルギーを感じさせるジリジリとした演奏だった。
 これに対して今回のパリ管は、マグマの噴火のような爆発的エネルギーを持った演奏だった。
 
 もちろん年月も経ち、ヤルヴィの解釈も変わるだろうし、印象が異なるのは当然かもしれないが、それにしてもあまりの違いにこちらはやや意表を突かれた感じだ。
 
 違いの原因は、やはりオーケストラにあったと思う。
 別にN響よりパリ管の方がうまいとか、そういう短略的なことを言うつもりはないが、ひとつ言えるのはパリ管の演奏は非常に開放的で、自発的で、前のめりだった。そうした特性を最大限引き出した結果だったと思う。
 
 これは、よく考えると「なるほど」と納得がいく。N響、パリ管、hr交響楽団(旧フランクフルト放響)、それからドイツ・カンマーフィル・ブレーメン。これらの公演に行った人は思い起こしてほしい。それぞれにおいて演奏特性が異なりながら、そのどれもが強烈なオリジナリティを発揮していたではないか。
 つまり、ヤルヴィは、オーケストラの持ち味に応じた解釈を選択し、オーケストラによって自在にスタイルを変えることが出来る指揮者と言えそうだ。
 
 このような結論に思い至った時、今月末、間髪を置かずにやってくるドイツ・カンマーフィル・ブレーメンの公演がにわかに楽しみになってきた。今度はどういう演奏になるのか、パリ管とどういう違いを打ち出してくるのか、とてもワクワクするではないか!
 
 
 パリ管についてもう1つだけ述べさせてもらうと、前回来日公演で演奏した幻想交響曲を聴いた際、各奏者たちの自信満々、余裕綽々の表情を見て、私はそれを「幻想の演奏はどこにも負けない」というお国ものに対するプライドなのだと思い込んだ。
 だが、今回プロコの演奏をするオーケストラ奏者を見て、「あ、同じ表情だ!」と感じた。
 
 要するに、連中はどんな曲でも演奏に絶対の自信と誇りを持ち、なおかつ演奏そのものを楽しむ真のプロ集団なのだ。
 演奏しながら自然と笑みがこぼれ、奏者同士が目が合うとお互いウィンクをし合う、まあそこらへんがいかにもフランス人っぽいのだが、でもとても好感が持てたのは事実である。
 
 最後になってしまったが、コンチェルトを弾いたヌーブルジェも好演だった。ピアノも上手いが、いかにもフランス貴公子といった趣きのカッコイイ好青年。彼のアンコール独奏中、ステージ上の多くの女性奏者たちがうっとりした表情を浮かべながらソリストを見つめていたのを私はしっかりチェックしたぜ(笑)。