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2013/10/13 ウィーン・フィル2

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2013年10月13日  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会(第2日)  楽友協会大ホール
 
 
 ウィーン・フィルブルックナー。「こんなふうに聴けるといいなあ」と何となく期待していたのは、壮麗で潤沢な響きだった。教会のオルガンの音が降り注ぐかのような響きのイメージ。最高のオーケストラと最高のホールが紡ぎだす極上の美。一点の濁りもなく、艶があって、どこまでも透明な音。まろやかに溶け込んだ絶妙のブレンド。ソフトで豊かな残響が黄金のホールにこだますると、やがてホールの壁を抜けて天空へと散っていく、みたいな・・・。
 
 そんな淡い期待は裏切られた。もちろん良い意味で。
 聞こえてきたのは、天国のような浮ついた響きではなく、堅苦しいほどにがっちりと構築された音楽だった。夢ではなく、現実の世界。形にこだわった、輪郭がはっきりとしたブルックナー。重たくならず、ロマンの香りに浸ることもせず、優雅さや安らぎを求めることもなく、ひたすら真っすぐに歩む。さりとて淡白に陥ることは決してない。着実なアプローチの中から交響曲の造形美が浮かび上がり、そこに格調高さが備わる。
 
 定評のあるウィーン・フィルモーツァルトベートーヴェンと同様にブルックナーも‘彼らの’音楽である。その伝統と自主性に任せてしまえば、指揮者は別に何の苦労もないはずである。
 だがブロムシュテットはそうしない。それを潔しとしない。彼には彼の断固たるブルックナー観がある。決して妥協せず、それを貫徹する。その姿勢は凄みさえ感じられるほどである。
 
 そんな指揮者の要求に、ウィーン・フィルは真剣に応えていた。きっとリハーサルを通じて、ブロムシュテットの厳格さと真面目さがよく判ったのだろう。と同時に、自らを厳しく律しながら長年にわたって音楽に真摯に取り組んできた功績に、大いなる敬意を抱いたのだろう。
 
 
 ところで今回ブロムシュテットの指揮を見ていて、一つ気が付いたことがあった。
 彼のタクトには自らの深い呼吸が関わっている。指揮棒を持ち、腕を振っているが、実は呼吸法によって音楽を動かし、オーケストラから音を引き出している。まるで気功術を駆使しているかのようである。
 本人がそれを意識して実践しているのか、あるいは無意識なのかは分からないが、80半ばを過ぎてもなお第一線で活躍し、衰え知らずのかくしゃくとした佇まいは、ひょっとしてその成果なのではないかと思った。