今年のザルツブルクは、他にもバルトリ出演の「ノルマ」、カウフマン出演の「ドン・カルロ」、ネトレプコとドミンゴ共演の「ジョヴァンナ・ダルコ」など話題の演目が目白押しだったが、私の関心はマイスタージンガー一点だった。こうしてペーザロから丸一日かけてやってきたというわけだ。
2013年8月24日 ザルツブルク音楽祭 祝祭劇場
指揮 ダニエレ・ガッティ
演出 シュテファン・ヘアハイム
ミヒャエル・フォレ(ハンス・ザックス)、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(ポークナー)、ロベルト・サッカ(ヴァルター)、マルクス・ヴェルバ(ベックメッサー)、アンナ・ガブラー(エヴァ)、ペーター・ゾン(ダーヴィッド)、モニカ・ボヒネッツ(マグダレーネ) 他
こちらの期待のとおり、ヘアハイムの演出は、とことん考え抜かれ、随所にアイデアが散りばめられていて、見ていて飽きず、想像力を掻き立てられる素晴らしいものであった。
舞台はザックスの書斎。彼が詩や音楽を創作しながら、その空想や追憶の世界に入り込む形で物語を進めていく。舞台はクローズアップされた机や戸棚の上で展開されるため、あたかも小人の世界に迷い込んだかのよう。
つまりヘアハイムは、クローズアップという手法を駆使しながら、ザックスの頭の中や心の中を覗き込み、彼の芸術創作の源は何なのかという探求に主眼を置いたのである。
ザックスの書斎部屋にはたくさんのおもちゃが散らばっていることから、その源は、幼少期の思い出であったり、大人になっても持ち続けている遊び心やファンタジーにあることが見て取れる。
そうやって覗きこんでいたら、もう一つ、ザックスが胸の奥に大切にしまっている密かな想いまで見えてきた。
それは、「エヴァへの恋心」だ。
誰にも知られたくないし、表に出すこともない心の中の淡い気持ち。こっそり描いて隠しておいたエヴァの肖像画を、本人に見つけられた時の激しい動揺。ヘアハイム演出では、ヴァルターとエヴァの若い二人の両想いを温かくサポートする寛大なザックスではなく、嫉妬し、悩み、焦る人間的なザックスとして描いていた。ザックスは普通の男なのだ。
その意味では、ベックメッサーもこれまた同じ。嫉妬し、悩み、焦るのは人間として当然のこと。ザックスはベックメッサーを、自分のこととして見つめている。そして最後のカーテンコールで示された衝撃の結末。ザックスとベックメッサーは表裏一体の同人物だったというタネ明かし。これには素直に驚き、唸った。
なお、評論家の評や他の方の色々な感想記事を見てみると、このザックスはワーグナー自身だったと解釈した人が何人もいた。
なるほど、そう言われればひょっとするとそうかもしれない。でも、私はそのように捉えることが出来なかった。ヘアハイム自身がどのように解説しているかは知らないが、一つの解釈としては十分OKだろう。(ザックスが特徴のあるもみあげをしていたので、確かにそのようにも見えるが。)
歌手について。
ザックスを歌ったフォレやポークナーのツェッペンフェルトなど、定評のあるワーグナー歌いとして「さすが」と思わせる実力を披露した人もいたが、全体的には小粒。ヴァルターのサッカは、もう最初からまったく期待していなかったが、その期待どおりアウト(笑)。エヴァのガブラーも、4月の東京春音楽祭から向上のかけらも見受けなかった。
世界で最もゴージャスな音楽祭ザルツなんだからさあ。キャストはもうちょっと何とかならんかったかのう・・・。
指揮のガッティもちょっと期待ハズレ。この指揮者、どうも当たりハズレの波が激しい。良い時はメチャクチャいいんだけどな。
ところで、今回の上演、第一幕の後の休憩を1時間たっぷり取った。このため第二幕後の休憩では、劇場の外に出て、プチ観光で大聖堂を見学した。
もちろん万が一のことも頭に入れながら、ゆとりを持って戻ったつもりだったが、既に劇場ではお客さんが全員着席状態。すぐにでも上演開始となるところだった。ダッシュし、慌てて自分の席に着いた。これには焦った。やはり油断はいけませんなあ。