クラシック、オペラの粋を極める!

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マイスタージンガー2

 ところでさあ。ヴァルターって、あの後、ちゃんと組合に入って他のマイスターたちと仲良くやっていけたのかなあ。どう思う?

 だってさあ。彼はもともと流れ者の騎士であって、マイスターになるつもりもなかったし、伝統や芸術を守るつもりもなかったし、単に一目惚れしたエヴァちゃんと結婚したかっただけでしょ??
 ザックス親方の崇高な演説によって「ちっ。まあいいか。仕方ねえな。」と入会する決心をしたものの、結局窮屈になって辞めちゃったんじゃないかなあ。保守的な親方衆の中で自由人のヴァルターが馴染むとはとても思えない。だいいちベックメッサー君もいるしね。居心地チョー悪いよね(笑)。
(そう言えば、以前に、最後でヴァルターとベックメッサーが和解し、握手して終わる演出を見たことがあるが、実に無理があった(笑)。)

さてと。

今日の本題はそれじゃなくて、私の思い出のマイスタージンガー公演について。

2003年12月、チューリッヒ。概要は以下のとおり。

指揮  フランツ・ウェルザー・メスト
演出  ニコラウス・レーンホフ
ハンス・ザックス  ジョセ・ファン・ダム
ポークナー  マッティ・サルミネン
ベックメッサー  ミヒャエル・フォレ
ヴァルター  ペーター・ザイフェルト
ダーヴィッド  クリストフ・ストレール
エヴァ  ペトラ・マリア・シュニッツァー


 演出がどうだったとか演奏がどうだったかとかは、省略。私が見た日にちょっとしたハプニングが発生したので、それについて紹介したい。

ハプニングというのは、歌手の不調。見舞われたのはヴァルターを歌ったペーター・ザイフェルト。

この日、開演前にマイクを持った支配人が登場した。良くない知らせのアナウンスだ。
ドイツ語のため何を言っているか分からないが、こういう時支配人が話すことは2つしか無い。
「◯◯は体調不良のため急遽降板」か「◯◯は体調不良だが、頑張って歌うのでどうかご勘弁を。」のどちらか。
で、◯◯の人物がそのペーター・ザイフェルトであった。
支配人の説明後、客席に安堵の雰囲気が漂い、パラパラと拍手が起こったので、「ああ、後者の方だな。」と理解。

そのザイフェルト。確かにセーブしている様子があったものの、第1幕、2幕と、破綻をきたすこともなく無難に歌っていたので、「大丈夫じゃないか。これなら十分オッケーだな。」と思いながら聞いていた。

 ところが、本人の喉の調子はやはり相当大変だったようだ。
 第2幕までなんとかごまかしごまかしでこなしたが、第3幕でついに持続不能となり、喉が壊れてしまった。全然声が出なくなってしまったのだ。

 第3幕は、まず、ザックスと一緒にコンテストの歌を作る場面があるが、この段階で、もう囁くくらいにしか歌えなくなってしまった。いつ消え入ってしまってもおかしくない。指揮者のウェルザー・メストはオーケストラの音を最小限にまで絞り、必至にザイフェルトを支えようとする。だが、苦しい。いやこれは本当に苦しい。

 演奏を中断し、「ごめんなさい。もう歌えません。」とギブアップしてしまっても良かっただろう。これ以上無理なのは誰の目にも明らかだったから。
 だが、ザイフェルトは続けた。ヴァルターが歌合戦の場で歌わなければ、このオペラは終わらない。歌手としてよりも上演に対する責任を彼は引き受け、全うする決断をしたのだ。

 いよいよ最終歌合戦の場。果たしてザイフェルトは歌えるのか?
 ステージ上も客席も極度に緊張が走り、全ての人が固唾を飲んで見守る中、ザイフェルトは歌い始めた。
 
「Morgenlich leuchtend im rosigen Schein・・・」朝はバラ色に輝きて・・・

出だしは良かった。だが、続かない。声が出ない。でも止めるわけにはいかない。
ザイフェルトはオクターブ下げ、囁きながら歌った。もう、本当に可哀想なくらいの悲劇だ。

だが、客席は全員が彼の味方に回った。みんなが拳を握りしめ、祈り、心の中で必死に応援する。
「大丈夫だペーター!頑張れ、頑張れ!!頑張れ~!!!」

どうしてもここだけは決めたい歌の頂点、「Die Muse des Parnas!」パルナッソスのミューズ!
ザイフェルトは再び声をオクターブ上げ、最後の全力を振り絞って声を張り上げた。
その声はビリビリと割れた。聞くも無残だった。だが、私はザイフェルトの勇気に感動した。恐らく観客全員が感動したと思う。

 最後まで歌い通したザイフェルト。優勝の月桂冠を実際の奥さんであるシュニッツァーが彼の頭に乗せる。そして「よくやったわ!」と熱い抱擁。これ、公私が完全に入り混じっていた(笑)。

カーテンコール。
主役が一人ひとり舞台に現われて拍手をもらう恒例の儀式。ザイフェルトが登場。彼は本当にすまなそうに、自分の喉を指さして「喉の不調で、申し訳ありませんでした。」とでも言いたげに頭を下げた。
その途端、会場のあちこちから大きなブラヴォーが飛んだ。立ち上がって拍手する人が続出した。

それは本当に、本当に美しい、感動的な光景だった。

2年後の2005年10月。
ザイフェルトはバイエルン州立歌劇場の来日公演に帯同し、マイスタージンガーのヴァルターを歌った。その時の日本のお客さんは、ザイフェルトのいつもどおりの立派な歌唱に、何の疑問もなく、ごく普通に聞いたことだろう。

だが、私は個人的に特別の感慨を持って聞き入った。見事に優勝歌「朝はバラ色に輝きて」を歌い上げた瞬間、「リベンジ果たしたね!ありがとうペーター!」と心の中で感謝を捧げた。