いつもなら、公演概要(曲目、指揮者、オーケストラ、配役)を示した後、その演奏や演出等について気が付いたこと感じたことを書いている。
だが、今回はどうにも気になったことがあったので、その事について書こうと思う。
この日のホフマン物語、なぜかずっと違和感を覚えながらの鑑賞であった。引っかかることがあって、鑑賞に集中できなかったのだ。
演奏の出来が悪かったわけではない。全体的には二期会が持てる実力を発揮し、十分に一定水準に達した好演だったと思う。にも関わらず、私の気分はモヤモヤしっぱなし。「うーむ・・・」といった感じだった。
原因は二つ。
第一は、言葉。出演者が発するフランス語がどうにも日本語っぽく聞こえてダメだった。
ただ、これはある程度は仕方がない。ドイツ語よりイタリア語より、フランス語は難しいと思う。フランス語には独特の響きとニュアンスがある。これを完璧にこなすのは日本人にはとても難しい。
問題はもう一つの方。
それは主役ホフマンを演じた福井敬の歌唱についてだ。
その福井さんに対して違和感とは何事かとお叱りを受けるかもしれない。せっかく私のブログを読んでくれている人から反感を買ってしまうかもしれない。ここに踏み込んでいくのは正直言って勇気がいるが、批判を覚悟であえて述べる。
上記のとおり福井さんは日本のトップテノールなので、二期会の公演に足を運べば、ほぼ毎回彼の出演を目の当たりにするし、それ以外でも聞く機会が多い。何度も聞いていると、彼の歌い方に独特の節回しやアクセントがあることに気がつく。まず、その歌い回しがどうも私の好みにイマイチ合わない。
だが、それだけではない。更にもう一つの疑念が湧く。
「歌い回しが自分の好みに合わないだけの問題なのだろうか・・・」
もしそうならば、それでいい。むしろそうであってほしい。
だが、私は勘繰ってしまう。
「ひょっとして、彼の歌唱技術そのものに物足りなさを覚えているのではないだろうか。」
自分でひけらかすまでもなく、私はオペラを求めて欧州を中心にあちこち駆け巡っている。世界的な超一流テノール歌手だけでなく、それほど有名でない、あるいは全く知らないテノール歌手の歌も数多く聞いている。また、近年、欧米の歌劇場ではアジア圏、特に中国系韓国系の歌手を多く見かけ、その台頭と活躍は目覚ましい。
私の違和感、それは「にも関わらず、日本にいる限り、これまでもそしてこれからも、福井さんをプリモテノールと認め、聴き続けなければならないのだろうか。」というものだ。
鑑賞中にこんなことを考えながら、オペラに集中できるはずがない。
でも、これからも福井さんが出演する公演に足を運んだら、また同じ疑念がよぎることになるだろう。
とりあえず私はもう一人の方が歌う日に行こうと思っている・・・。