指揮 パオロ・カリニャーニ
合唱 新国立劇場合唱団
プログラムは、滅多に演奏されない交響曲に加えて、合唱とソリストを伴うスターバト・マーテルという意欲的なもの。紀尾井シンフォニエッタとしても、かなり気合が入り、やりがいのあった公演ではないだろうか。かく言う私もとても楽しみにしていた。(楽しみだった最大の理由は、実はもう一つ別にあったのだが、それについては次回に書こうと思う。)
紀尾井シンフォニエッタの公演はあまり行ったことがないので、普段どれくらいお客さんが入るかよく知らないが、この日はなんとソールドアウト。ホールのキャパがそれほど大きくないとはいえ、こういう公演が盛況なのは誠に好ましいことである。
1曲目のケルビーニ。
知らない曲だったので、CDを買って予習したのだが、冗長で退屈でちっとも面白いとは思わなかった。
ところが、この日の演奏を聞いて、「ほほう。なるほどー。へえー。」と興味深く聞き入ることができた。ということは、これはやはり指揮者の卓越した音楽作りに魅せられたということであろうか。だとしたら、カリニャーニは大したものだと思った。
実際、マエストロの指揮は見ていて本当にわかりやすく、頭の中で鳴っている音楽をそのままストレートにタクトで表現することができる。また、演奏家を気分よく演奏させる乗せ方もお上手で、このためオーケストラが躍動感に満ちている。音楽がいきいきと輝いている。
一方で、こうも思った。
指揮者の音楽作りもさることながら、やはり「CDよりも生公演なのだな」と。
指揮者やオーケストラが発するメッセージをダイレクトに受け取ることが出来る特別な空間。演奏家と聴衆が同じ時間を過ごしながら音楽を共有し、作曲家に思いを馳せる。これこそが生公演の醍醐味だ。
色々な発見をし、この曲を見直すことができたので、帰宅してもう一度リピートでCDを聞いてみようと思ったけど、やっぱりやめた。再びがっかりするかもしれないから。良いイメージのまま、またしばらく置いておくこととしよう。
2曲目、スターバト・マーテル。
ロッシーニということで、オペラのようにドラマチックに情感を込めてやるかと思ったが、意外にも真面目で襟を正した演奏。なんだかバッハのカンタータを聞いているみたいで、イタリアっぽくなかったのはちょっと面食らった。
ひょっとしてそのように聞こえたのは、合唱のせいかもしれない。
新国立劇場合唱団はこの日も素晴らしい歌唱を聞かせたが、曲のイメージを変えてしまうほど、あまりにも整然としていた。完成し過ぎというか。
ただ一人、テノールだけが空気を読めずに我が道を歩んでいたが、はっきり言ってかなり浮いていたと思う(笑)。
オペラにおいてはテノールは猪突猛進の役が多いが、役だけでなく、実際の人間もそういう人が多いんでしょうかねえ。