2013年4月14日 フェニーチェ歌劇場 愛知県芸術劇場
ヴェルディ オテロ
指揮 チョン・ミョンフン
演出 フランチェスコ・ミケーリ
グレゴリー・クンデ(オテロ)、ルーチョ・ガッロ(イヤーゴ)、リア・クロチェット(デズデモナ)、フランチェスコ・マルシーリア(カッシオ)、アントネッロ・チェロン(ロデリーゴ) 他
東京公演の初日、つまり本日であるが、仕事の都合で行けないことが数日前に判明した。遅刻なら行けたかもしれないが、遅れて途中から観るのは嫌だ。仕方なくこの日のチケットを売っ払い、私は日曜日開催の名古屋公演のチケットを急遽購入した。ためらいはなかった。
東京から新幹線で1時間40分。名古屋は思ったよりも近い。会場の愛知県芸術劇場は、名古屋駅から地下鉄で2駅目の栄駅を出てすぐなので、アクセスにも優れている。ヨーロッパに行くくらいなら名古屋の方がはるかに便利。当たり前か(笑)。
私はこれまでとてもラッキーなことに、平日のコンサートに出かけられる職場環境だった。だが今後は困難な場合も起こりうる。どうしても難しい場合、もし休日に名古屋で同公演があるのなら、代替手段として利用しない手はない。ただし、チケット代に往復交通費分の2万円が加算されるのかと思うと、気が重くなるが。
ヴェルディ生誕200年を記念し、9月のスカラ座来日公演のその前に、まずフェニーチェ歌劇場がやってきた。記念イヤーに本場のヴェルディを日本に居ながらにして鑑賞できるのはとても贅沢でスペシャルだ。特にオテロは物語自体がベネチアにつながっているので、劇場にとってもきっと特別な演目であるに違いない。是非その本気度を見せてもらおうではないか。
それではさっそく本公演について。
ステージには、天体の正座が描かれた装置や紗幕が設置されている。さそり座、それから獅子座(ライオン)などの図柄が描かれている。海蛇のしっぽらしき物も見える。
もうたったこれだけで、演出家の意図の一端が垣間見えるし、色々な想像を膨らますことが出来る。
星座はすなわち占いであり、登場人物の行く末であり、運命の象徴である。イヤーゴの罠にはまって運命の歯車が動き出し、オテロとデズデモナは悲劇の結末へと向かっていくわけだが、これらは占星術のとおりに宿命付けられていたというわけだ。
また、さそりは針で毒を注入するイヤーゴであり、ライオンはもちろん「ベネチアの獅子」オテロを指す。海蛇はさしずめオテロの首に巻き付き、締め付ける嫉妬の化け物ということか。ここまでは単純明快、だれでも分かるだろう。
更に、第1幕最後のオテロとデズデモナの愛の二重唱は、夜の帳が下りるところで歌われ、二人を見守る満天の星空をも表している。
第4幕の幕切れも非常に印象的だ。殺されたデズデモナが幽霊となってオテロの背後で彼の自害を見守り、魂となった二人が手を取りながら黄泉の国へ向かっていく。オテロが自害した際、刺し傷の痛みを死んだデズデモナまでもが感じるという振付も思わせぶりである。果たして二人は、死してようやく一心同体となり、永遠の結びつきと平安を得ることができたのだろうか?
音楽面について。
指揮者がチョン・ミョンフンだというのは実に素晴らしい。かつて東京フィルの実質的な音楽監督として、交響曲を始めとする様々なオーケストラ曲を披露してきたが、実は彼のオペラは絶品である。藤原歌劇団でタクトを振った蝶々夫人は超がつくほどの名演だったし、同じく藤原でのカルメン(フランス国立放送フィルがピットに構えた)も素晴らしかった。パリ・オペラ座の音楽監督だった経歴はダテじゃない。もっともっとオペラを振るべきだと思うし、再びどこかの歌劇場の監督ポストに就いてもいいと思うのだが、本人はいたって慎重だ。
よっぽどパリが大変で、懲りちゃったんだろうなあ。フランスで仕事するの、しんどそうだもんなあ。
そのチョンのオテロであるが、非常に振幅レンジが広い。ちょっと緩いと感じる箇所もあったが、その一方で、物語の展開が動く瞬間、「ここだ!」という所で放たれる閃光の煌めきはものすごかった。
歌手では、タイトルロールのG・クンデに腰を抜かした。
クンデと言えば、ベルカント物やロッシーニを得意としていたテノール。(2000年1月に新国立劇場で、ドン・ジョヴァンニのドン・オッターヴィオを歌ったんだけど、誰も覚えていないだろ?)
5年前のロッシーニ・オペラ・フェスティバルの来日公演では、ロッシーニのオテロのタイトルロールを歌っている。まさかロッシーニとヴェルディの両オテロを歌いこなす歌手が出現するなど誰も想像しなかっただろうし、今回も多くの人がイメージ出来なかったのではないだろうか。かく言う私もその一人。
だが、クンデはやってしまった。しかも鮮烈に。力強く、伸びがあり、輝かしいスピント。これぞ我々が望んでいたオテロではなかろうか。
オテロ役にクンデを抜擢(しかも同劇場のデビュー)した劇場の発掘力には心から称賛したい。世界中の劇場関係者が、稀少の「オテロを歌える歌手」探しに血眼になっているのだから。
イヤーゴのガッロも申し分ない。歌いまわしが巧みで、味がある。憎々しいというより、賢くてスマートな悪巧みのイヤーゴだ。
デズデモナのクロチェットは、ちょっとキツイ印象を受けるが、声はよく響いていた。
カーテンコールでは、もっとこれらの歌手に対して盛大にブラヴォーが飛んでもいいと思ったが、名古屋のお客さんってややおとなしい?(笑)
今、時間的にちょうど東京公演の初日が無事に終わった頃だろう。果たして東京のお客さんはどんな反応を示すのかな?