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2013/2/20 読響

2013年2月20日  読売日本交響楽団  東京芸術劇場名曲シリーズ
指揮  下野竜也
 
 
 つい先日、アムステルダムでの「ギョーム・テル」鑑賞記で、指揮したカリニャーニについて、「引っ張りだこの指揮者。指揮者としての才能だけでなく、人格的にも優れ、信頼が置かれていて、人間的にも好かれているに違いない。」と書いた。
 
 日本にも、まさにそういう指揮者がいる。下野竜也氏である。
 
 近年の下野さんの活躍は本当に目を見張るばかりだ。国内オーケストラの公演スケジュールで、彼の名前を見つけないことはない。まさに引っ張りだこ。カリニャーニと同じで、指揮者としての音楽才能だけでなく、人格的にも優れ、楽団や奏者たちから絶大な信頼を得ているのだろう。
 
 この日のブルックナーを聞けば、彼がどうしてオーケストラから引く手あまたなのかが分かる。(この日のブルックナーだけでなく、どんなプログラムでも彼が指揮するコンサートに行けば、それは分かる。)
 
 とにかく誠実なのだ。作品を非常に大切に扱い、真摯に取り組む。作品を踏み台にして自分の個性をひけらかそうなどという野心は毛頭ない。(アメリカの某指揮者Mとは大違い(笑))
 無駄な音符は一つもなく、全ての音、フレーズ、ハーモニーに作曲家が込めた意味があるとし、音楽を丁寧に丁寧に組み立てていく。
 
 特に第二楽章において、これらが顕著だった。音を注意深く聞き、バランスを取り、地道なハーモニーの構築作業を手掛けた結果、普段聞こえてこない音が次々と浮かび上がる様は圧巻だった。
 
 統率力においてもカリスマ性においても違いすぎて、例に挙げるのは如何なものかとは思うが、やっていることはチェリビダッケと一緒のような気がする。ただ、チェリの場合、その構築作業の過程でテンポが極端に遅くなるのに対し、下野さんはそうならないので、私はむしろチェリよりも下野さんに軍配を上げたいくらいだ。
(なーんて言うと、多くのブルックナーオタクどもから「オマエは音楽が分かっちゃいない」と後ろ指さされるわけであるが。)
 
 あえて言わせてもらうと、あまりにも整然とし、均整を取りすぎているような気がする。ブルックナーの場合、無骨でナチュラルな構成が、時に劇的効果を生み出す。
 それから、今は全てをタクトだけで表現しているが、世界の超一流指揮者は、あえて振らなくても、流れだけで、あるいは目や表情だけで、音楽を自在に操り、表現する技を持っている。
 是非、そこまで到達してほしいな。
 
 読響は下野さんを正指揮者として迎え入れ、6年間良好な関係を築いてきたが、この日が正指揮者としての最後の公演だそうだ。読響がというより、下野さんにとって次のステップに移行するタイミングがやってきたということだろう。プログラムのインタビュー記事を読むと、今後は海外での活動の場を増やすそうだ。ますます飛翔していただきたいと願う。