「親や友人からの影響や、ふとしたきっかけなどでクラシック音楽に触れる機会があった。興味を持ち、最初は誰でも知っているような定番名曲からスタート。少しずつ鑑賞の範囲を広げ、レパートリーを増やしながら、ますますその魅力にのめり込んでいき、やがて好きな作曲家や演奏家にたどり着く。」
多くのクラシック音楽リスナーの歩んできた道であろう。
思い返すと、その過程において、どこかで必ずクラシック音楽の奥深さに開眼するきっかけとなった曲があるはずである。平易なメロディで分かりやすく、耳に優しい音楽から、多彩な響きや複雑に交錯するポリフォニックサウンドへの目覚め。いわば、さなぎから成虫へ脱皮するターニングポイントの曲。
私の場合、こうした曲はいくつか存在するのだが、その一つが「春の祭典」である。
私がこの曲に巡り会ったのは、高校2年生の時。レコードショップで何気なく手に取った一枚のアルバムだった。
誰かに推薦されたわけでもなければ、あらかじめ購入しようと目を付けていたわけでもない。ただ、ジャケットのデザイン画が斬新でかっこよかったので、偶然目に留まったのである。
この時、ストラヴィンスキー自体が全く未知なるものだったが、私もちょうどレパートリー拡大に努めていた頃だったし、「春の祭典」というタイトルも何となく明るくて楽しそうだったので、いい曲だと信じて購入を決めたというわけ。
‘ハルサイ’初体験の衝撃については、別に今更くどくど述べる必要はないだろう。なぜなら、私に限らず誰でもこの曲を初めて聴いたら、程度の差こそあれ、びっくりすると思うから。パリでの初演の際は怒号が飛び交うほど騒然となったという伝説のオマケ付。インパクトは超A級。
録音を聴いた翌日、興奮さめやらぬ私は、さっそく部活のブラスバンド仲間に報告した。
現代の高校生風に言うと、「春の祭典、マジでちょーヤバくね??」(笑)
当時のブラバン仲間には、私よりも早熟なクラシック好きが何人もいて、「ようやく気付いたか、おぬし。」みたいに言われたことを覚えている。
その中の一人が、ハルサイのミニ・スコアを持っていて、「ほれ」と貸してくれた。
これが、第二の衝撃だった。
聞いてビックリ見てビックリ。読み取り不能の音符の羅列。数小節ごとに目まぐるしく変化する拍子と調性。録音では他の楽器に紛れて全然聞こえないのに、分からないところでとんでもない動きの旋律を奏でているパート・・・。
面白かったのは、ブラバン仲間でこの曲にハマっているヤツが少なからずいたこと。この刺激的な音楽は、多感で成長過程まっただ中である高校生の感性にマッチするのかもしれない。
さて、高校の部活、と言えば、先輩後輩間の厳しい上下関係。高校3年生は天皇、新入りの一年生は奴隷(笑)。
(今はそういう悪しき風潮はなくなっているのかな?)
苦しかった下積み時代を経て、ついに三年生になった我ら同級生は、ようやく下級生に対して威厳を振りかざす権利を手にし、夏合宿を控え、新入り一年生の野郎どもに、とある指令を下した。
「えーー。一年生に告ぐ。諸君には速やかに当部の一員として溶け込み、部を支える貴重な戦力になってもらいたい。今度の合宿は、単に演奏技術を磨くだけでなく、部内における仲間意識の共有と懇親の絶好の機会でもある。ついては、一年生にはみんなで余興をやってもらう。課題は「ダンス」「踊り」。伴奏音楽はストラヴィンスキーの「春の祭典」の終結部「生贄の踊り」。みんなで力を合わせて上級生を楽しませるように。いいかぁ、分かったなぁ~!」
一年生「うぃーっっす。」 (げげー。)
いやあ、当時の一年生の諸君よ。もしキミたちが「高校生の時、上級生に無理やりハルサイを踊らされて、この曲を聞く度に苦い思い出が蘇る。」としたら、わりい、許せ。我々としては、こういう素晴らしい曲をいち早く知ってもらいたかったのだ。演奏する人間として、血沸き肉踊る音楽に合わせながら体全体で表現する能力を培ってもらいたかったのだ(笑)。
なあーんてね。すまん。
でもさ、巡り巡ってキミらが上級生になった時は、今度は立場逆転で鬱憤を晴らしていたのではあるまいか??
ま、そうやって人間関係やタテ社会の構図を勉強していくわけですな。
以上、私の「春の祭典」にまつわる高校時代の楽しい(?)思い出話でした。ちゃんちゃん。