クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/11/10 都響

2011年11月10日  東京都交響楽団定期演奏会    サントリーホール
指揮  ヴォルフガング・ボージッチ
モーツァルト  ピアノ協奏曲第23番
 
 
 サッカー元日本代表監督オシム氏は含蓄のある言葉を多用し、それらは「オシム語録」として有名だが、そんな中に「肉でも魚でもない試合だ」というのがあった。
 ビミョーな言い回しだ。おそらく「さしたる特徴もない試合」という意味なのだろうが、面白く活用しやすいので、パクらせてもらおう。
 
「この日のケンプのモーツァルトは肉でも魚でもない。」
 
 それよりも面白かったのは、演奏が終わり、盛り上がらないカーテンコール後、アンコール曲を披露する時になって、ケンプが聴衆に曲紹介を日本語で行った・・・はよかったのだが、「ベートーヴェンの・・・悲愴の・・・・・」と、ここで詰まってしまった。言葉を忘れてしまったらしい。しばし沈黙の後、何となく思い出して「ダイニゴウシャ」になってしまった・・・。二号車って・・(笑)。
もちろん本人は「第二楽章」と言いたかった。残念。フレディ・ケンプ、捲土重来を期す。頑張れ。
 
それにしても、モーツァルトってつくづく難しい音楽だと思う。言わば、スッピンで勝負しなければならないようなもの。演奏家本人の「素」が問われる。
それに比べると、シュトラウスは個々の演奏技術的には難しいかもしれないけど、音楽をまとめ上げるのは意外と簡単かもしれない。モーツァルトと違って、着飾って勝負できるから。
 
この日のメイン家庭交響曲も、大編成ならではの豊潤かつ絢爛なシュトラウスサウンドを楽しむことが出来た。曲の中のあちこちに、シュトラウス特有の「描写」が散りばめられている。それが妻のテーマであったり、子供のテーマであったり、喧嘩だったり、愛の交換だったりするわけだが、別にそれらを一々チェックする必要もなく、カラフルなオーケストレーションを純粋に味わえばそれでいいと思う。特に、都響木管のソロパートはみな上手で、華やかな彩りを添えていた。
 
指揮のボージッチは、以前、日本で「コンヴィチュニーアイーダ」という輸入演出オペラの指揮者として来日した。「ああ、あの時の指揮者ね」と思い出す人もいるだろう。逆に、そう言われなければピンとこない地味な指揮者でもある(笑)。
だが、グラーツ歌劇場、ウィーン・フォルクスオーパー等で活躍し、最近までハノーヴァー歌劇場の音楽監督を務めたいわゆる叩き上げの職人オペラ指揮者である。私もハノーヴァーで彼の「ラインの黄金」を聞いたが、音楽の作り方はがっちりしていて、ブレがなく、芯がしっかりしたことを記憶している。この日のシュトラウスもそうだったが、タクトに曖昧さはなく、切れ味はある。是非、新国立劇場でオペラを振るために再度来日していただきたいものだ。