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2011/11/7 内田光子ピアノリサイタル

2011年11月7日  内田光子 ピアノリサイタル    サントリーホール
 
 
 残念ながら開演時間の18時半には到着が間に合わず、1曲目のハ短調ソナタが終わるまでの間、ロビーで待たされることになった。
扉の向こうでは超一流奏者による極上の演奏が繰り広げられているというのに、その扉の前で足止めを食っていることの腹立たしさよ。普段、途中入場の御仁に対しては「なんだよ」と眉をひそめているくせに、いざ自分がその立場に置かれると「ちぇっ、楽章間にこそっと入れてくれたっていいじゃんかよ」なんてつぶやいている。遅れた自分が悪いのに、人間って、なんてわがままなんだろう。(人間というより、オレが自己チューなだけか・・・すまん)
 
 普段の平日のように、午後7時開演なら間に合ったのに、と思ったが、この日のプログラムはかなりのボリュームだ。終演は午後9時を回った。休憩を挟んで、たっぷり二時間半の公演であった。午後7時開演なら、お開きはかなり遅くなっていた。
 
 物理的な時間の長さだけではない。内田光子の演奏解釈とスタイルが、さらにゆったり感とたっぷり感を増幅させていた。
 
 このゆったり感とたっぷり感はどのようにして出来るのであろうか。
 
 彼女はスコアを入念に研究しながら、曲をいったん「内田光子」というフィルターにかける。フィルターにかけられた曲は、標準的なテンポ、拍子などの規則がふるいにかけられ、いったんまっさらな状態になる。既成概念や縛りから解き放たれた音符は、やがて内田光子でしか解釈し得ない独自の表現力へと変貌する。あとは彼女自身がそうした音を自由自在に操るだけ。時に立ち止まり、思索し、膨らませ、安息を取り、やさしく撫で回す。それらが上記のゆったり感とたっぷり感につながっているのだと思う。
 
 あくまでも彼女のシューベルト解釈におけるアプローチの一つかもしれないが、これまで漠然と「内田光子ワールド」などといった単なる象徴的な言い回しで表現していた演奏スタイルの、本質の一端を垣間見たような気がして、うれしくなった。
 
 その他に今回のリサイタルで気が付いたこととして、全般的に奏でる音楽がとても優しかった。柔らかく、まろやかで、微笑みに満ちていた。それはこれまで彼女のピアノを聞いてきた中で、今回が特に顕著だった。
 きっと、辛く厳しい日々に直面している今の日本人に対して、彼女なりの真心と癒しのプレゼントであったに違いない。これは私の勝手な思い込みと気のせいかもしれないが。