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2019/6/2 ウィーン・フィル

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2019年6月2日   ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団   ムジークフェライン
指揮  マリス・ヤンソンス
シューマン   交響曲第1番 春
 
 
あっという間に情報が駆け巡ったので、ご存知の方もいると思うが、この日、ヤンソンスは演奏終了後、動けなくなり、団員に肩を担がれてステージを後にした。(一部「倒れた」というニュースが出回ったが、実際には倒れてはいない。ただし、団員の支えがなかったら、倒れていたかもしれない。)
当然カーテンコールには出て来られず。騒然とした雰囲気の中、演奏会は打ち切られるかのように終了した。
 
ウィルス感染症を患い、昨年の来日ツアーをキャンセルしたヤンソンス。その後復帰したが、果たして元の元気を取り戻しての復活なのかは、誰もが気になるところ。その意味で、今回のウィーン・フィル公演は注目だった。
 
会場に入ってステージ上の指揮台を見ると、椅子は置いていない。
そうか、立って指揮するのか。てことは、体力は回復してるんだろうな。安心した。良かったな。
そう思った。
 
登場したヤンソンスの足取りは重かった。表情も硬い。老けたなという印象。
せっかく「良かったな」と思ったのに、一転して心配になる。
足取りの重さが、病気の影響なのか、この日の体調なのか、単に寄る年波には勝てないということなのか。この時点では判然としない。
 
音楽は、足取りと同様に重かった。鈍重と言っていい。これは速い遅いというテンポの問題ではない。
巨匠の域に達し、奥深さを湛えた悠然たる歩みの重さというのなら、いい。
だが、そうじゃない。
反射神経が鈍り、腕を振る力が弱くなり、推進力が失われたのだ。
ああヤンソンス、衰えたな。
悲しくなってしまった。
 
一方で、力が弱まったことで音への扱いが優しくなり、丸みを帯びて、慈愛に満ちているようにも聞こえた。ついに仏様の境地に達してしまったのだろうか。
 
ウィーン・フィルは、指揮者からの微弱な電波を勝手に忖度して増幅することなく、現状ありのままのヤンソンスに寄り添っていた。きっと尊敬の念があるのだろう。なにせ世界最高のオケ奏者たちであるから、音楽は決して破綻しない。美しさは十分に保たれたままだ。
 
明らかな異変を見せ始めたのは、幻想の最終楽章あたりから。
指揮をしている身体が、徐々に右側に傾向き始めた。不自然な格好。顔もあまり上がらない。
あ、これ、やばいと思った。
だが、タクトは振り続けている。ヤンソンス自身が音楽を進めているのだ。コンマスは止めるわけにはいかない。
 
ヤンソンス、さぞやしんどかったことだろう。キツかったことだろう。
それでも最後まで力を振り絞って振り続けたのは、指揮者としての、音楽家としての完璧な責任感とプライドゆえだ。年をとっても、体調が悪くても、ヤンソンスはプロだった。壮絶な指揮者魂を聴衆に示したわけだ。
 
世界中のファンが心配し、どうなることかと思ったが、どうやら一時的な不調だったようで、その後、パリ、ハンブルクと続いたツアーは予定通り実施されたそうだ。
 
果たして、それが本人にとって良かったことなのかは分からないが・・・。