クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/8/15 うぐいす&イオランタ

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2011年8月15日  ザルツブルク音楽祭  コンサート形式上演   祝祭大劇場
指揮 アイヴォール・ボルトン
管弦楽 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
合唱 ウィーン国立歌劇場合唱団
 
1 ストラヴィンスキー  夜鳴きうぐいす
ユリア・ノヴィコヴァ(うぐいす)、ユリア・レツィネヴァ(料理人)、アントニオ・ポーリ(漁師)、マリア・ラドネル(死神)  他
 
2 チャイコフスキー  イオランタ
アンナ・ネトレプコ(イオランタ)、ピョートル・ベチャワ(ヴォーデモン)、ジョン・レリエ(レネ国王)、アレクセイ・マルコフ(ロベール)、エフゲニー・ニキーチン(医師)  他
 
 
1 夜鳴きうぐいす
 これまで、オーケストラ公演で、交響詩「うぐいすの歌」を聴いたことはあったが、オペラバージョンを生で聴くのは初めてだった。第一幕のドビュッシーのような幽玄的な響きにエキゾチック感を覚えたかと思えば、第2幕以降で突然現れるストラヴィンスキー特有の悪魔のようなメロディとハーモニーに時々面食らう。ミステリアスでありながら、それでいて魅惑的な作品だ。
 
 メジャーとは言い難い作品なので、この日の聴衆のほとんどは曲を知らぬまま公演に臨んでいるか、もしくは数少ない録音CDを頼りに予習してきたかのどちらかであろう。代表盤とも言えるブーレーズ・BBC響の録音で予習してやってきた人(私もそう)にとっては、この日の指揮者ボルトンの演奏は遅く、重く、平坦に感じたに違いない。ブーレーズ盤はだいたい45分くらいだが、この日の演奏はたっぷり1時間かかっていたから。本当はどちらがスタンダードなのか分からないのだが、先に聞いた方にどうしても刷り込まれてしまいますからね。
 
 タイトルロールのうぐいすには透明な響きの声と、コロラトゥーラと、どこか寂しさ儚さ危うさを漂わせる高度な歌唱力が求められ、ナタリー・デセイがパイオニア的存在であるが、この日歌ったノヴィコヴァも十分な実力を示し、聴衆を惹きつけ、大きな拍手をもらっていた。
 
 
2 イオランタ
 ステージに颯爽とネトレプコが登場した。一人だけ白いドレス。登場人物として数人の歌手が並んでいるにもかかわらず、あたかも彼女だけスポットライトが当てられているかのごとく光り輝いている。会場からはため息が漏れ、演奏前だというのに(!)、会場のあちこちからフラッシュが焚かれる。誰が何と言おうと、ネトレプコはスターだ。オペラ界のアイドル。華やかであり高貴。人によって好き嫌いがあるかもしれないが、この抜群の存在感は誰も否定できないだろう。たとえ、一時に比べて‘ふっくら’されたとしても(笑)。
 
 ところが演奏が始まると、この公演が彼女一人のものではないことが徐々に明らかになる。主要の役を務めるそれぞれの歌手たちが持ち味を最大限に発揮し、ドラマチックに歌い上げる。やがてネトレプコは、物語の上では主人公でありながら、音楽の中ではワン・オブ・ゼムになっていく。
 
 ベチャワ、レリエ、ニキーチン、そして私はこの日まで知らなくて初めて聞いたアレクセイ・マルコフ、皆素晴らしい。チャイコフスキーはそれぞれに珠玉のアリア、聞かせどころを用意していて、各々の歌手が「どうだ!」とばかりにビシッと決める。それはあたかもガラ・コンサートの饗宴で、各歌手が得意の持ち歌を披露しているかのようであり、当然のことながら観客もこれに熱狂した。
 
 音楽とは別に、物語では、盲目のイオランタが赤のバラか白のバラか区別がつかず、それを見たヴォーデモンが衝撃を受けるシーンが急展開となる重要な箇所なのだが、ステージ上にちゃんと赤いバラと白いバラの小道具が用意されて、ネトレプコがそれを使って観客の目を引きつける演技をしていた。そして、このシーンで、指揮者ボルトンはオーケストラを最大級に鳴らし、音楽的にもクライマックスを構築していた。とても劇的で、良かったと思う。
 
※ 上のネトレプコの写真を含む、このザルツ日記に掲載する公演写真は全て音楽祭の公式HPのフォトファイルから頂戴しちゃっています。でも、上の写真でも、真下にいる観客がみんなカメラを掲げて撮りまくってますね(笑)。