リハーサル等の準備期間を除き、実質的な公演稼働日はわずか夏の一か月半。ワーグナー自身が自作品上演のために劇場を建設し、今でもワーグナー作品しか上演されない(※第9などの特別公演を除く)類い稀なる音楽祭、バイロイト。そこは色々な意味において、他とは一線を画すスペシャルかつ特異な劇場である。
まずなんと言っても、このフェスティバルに招かれるために何年も申込み続けなければならないこと。これについては既に書いた。それだけ世界中のクラシックファンが憧れる夢の祝祭ということなのだろうが・・・それにしてもまったくもう、である。
次に、この音楽祭はあくまでもワーグナー芸術を体験することが唯一無二であり、劇場がその目的を果たすためだけの機能と造りになっていること。
たとえば・・・
・ロビーがない - ここは上流階級の社交の場ではない
・字幕装置がない - ここにやってくる人はストーリーを知っていて当たり前、字幕に頼る時点でアウト。
・古びたスタジアムのベンチのようなクッションのない座席 - 上に同じ
これだけの高い敷居を持ち、さんざん待たせに待たせておいて、ようやく観劇のおゆるしをいただいたからといって、じゃあそこで夢のような最高のプロダクションを体験できるかというと、そうは問屋が卸さないのが実にやっかいだ。
バイロイトは実験工房である。ワーグナー自身が時代の寵児で革新派だったこともあり、新しい物にチャレンジする精神が今も受け継がれている。世界におけるワーグナー上演の潮流をバイロイトが創ってきたという自負がある。
というと聞こえがいいが、最近は作品そのものをいったんぶっ壊し、その作品が持つイメージを根底から覆す過激な演出が幅を利かせているのが実態だ。
現行プロダクションの一つ前だったシュレンゲンジーフ演出によるパルジファルは大スキャンダルになったし、現行のマイスタージンガーも相当過激らしい。今年のプレミエのローエングリンもお騒がせ演出家ノイエンフェルスだから、おそらく轟々の論議を呼ぶことだろう。(漏れ聞こえる噂によると、「ネズミの世界」らしいっすよ。)
9年もの間散々待たされて、ようやく見ることができるというのに、上記のような目を覆うばかりの惨憺たる演出を見せられたら、たまったものではない。本当に勘弁してほしいものである。我々は、やり直しがきかないのだから。
私が見る予定の指環は、プレミエの一年前に演出チームが変わってしまい、構想準備期間が短い中で製作されたという訳あり物だが、案の定というべきか、演出についてはあまり良い評判が聞こえてこない。
だが、「目を覆うばかりの惨憺たる演出」という評判でもないので、少しだけホッとしている。
実は私も「ティーレマンリングに間に合ったらいいな」と思いながら申し込んでいた。プロダクションは今年が最終年。ぎりぎり間に合った。演出も含めて、今回は5年の歳月を積み重ね、きっと熟成されているに違いない。
という期待を高めながら、出発日を心待ちにしているところだ。