ショパンコンクールで優勝したツィメルマンは、一時、「ショパン弾き」のレッテルを貼られるを嫌がったのか、あえて他の作曲家を積極的に採り上げていたような気がする。もちろん、それらも高い水準でこなしていたが、ショパンの記念イヤーである今年、ツィメルマンは満を持して、持っている全てを賭けて、母国の偉大な作曲家の作品に再び取り組んだ。その結果、本領を完全に発揮し、機軸となる世界標準を樹立させた。
いや、標準という言葉は適当ではないかもしれない。孤高、至高の世界に到達してしまったのだ。もはや誰も追いつけないだろう。
それにしても、なんという集中力の高さだ。全身全霊をかけて作品と向き合っている。仮に客席で何かハプニングが起こったとしても、おそらく微動だにせずに演奏が続けられるのではないだろうか。その佇まいは、あたかもミサにて神託を述べる司祭のようだった。
それにしても、なんという集中力の高さだ。全身全霊をかけて作品と向き合っている。仮に客席で何かハプニングが起こったとしても、おそらく微動だにせずに演奏が続けられるのではないだろうか。その佇まいは、あたかもミサにて神託を述べる司祭のようだった。
大抵のコンサートでは、プログラムの中で特に良かった物の印象が発生するのだが、昨日は全てのプログラムが良かった。全てのプログラムが完璧だった。
この日の公演は、埼玉県の所沢ということで、確かチケットも結構売れ残っていたはずだ。それが、会場に行ってみるとソールドアウトになっていた。この日がツアーの最終日。推測するに、一度聴いてそのあまりの素晴らしさにもう一度体験すべく足を運んだお客さんや、評判を聞いて駆けつけたお客さんが多かったのだろう。
会場には、一部、緊迫感に欠け、そこが特別な空間であることを理解できなかったお客さんもいて残念だったが、それでも、「信じられない」といった茫然自失の表情をして会場をあとにするお客さんが何人もいて、このコンサートの凄さを物語っていた。
会場には、一部、緊迫感に欠け、そこが特別な空間であることを理解できなかったお客さんもいて残念だったが、それでも、「信じられない」といった茫然自失の表情をして会場をあとにするお客さんが何人もいて、このコンサートの凄さを物語っていた。