
2024年10月29日 ミラノ・スカラ座
R・シュトラウス ばらの騎士
指揮 キリル・ペトレンコ
演出 ハリー・クップファー
クラッシミラ・ストヤノヴァ(マルシャリン)、ギュンター・グロイスベック(オックス男爵)、ケイト・リンゼイ(オクタヴィアン)、サビーヌ・ドゥヴィエル(ゾフィー)、ミヒャエル・クラウス(ファニナール)、キャロライン・ウェンボーン(マリアンネ)、ゲルハルト・ジーゲル(ヴァルザッキ) 他
キリル・ペトレンコのグロリア・ヴィットリア(輝かしい勝利)にスカラ座が沸き、ミラノの夜空から満天の星が降り注いだ伝説の一夜。
6回のチクルス公演の最終日。初日は10月12日に迎えていて、既にミラノっ子は、今回ペトレンコがどれだけ素晴らしい音楽を繰り広げたのか、分かっていた。
また、世界中から駆けつけたオペラファン(私を含む)も、これまでに彼がどれだけのことを成し遂げてきたのか、やはり分かっていた。この日、音楽の魔法が必ず起きることを皆が知っていたのだ。
だから、演奏もしていないのに、彼が最初にピットに登場しただけで、ブラヴォーの声援が飛ぶ。
各幕の演奏終了、次の幕の演奏のための登場、その度に会場は大きな拍手とブラヴォーに包まれた。バイロイトなどドイツの劇場で時々起こる、聴衆の足踏みドンドン喝采も沸き起こった。これほどの歓待は、私自身のスカラ座体験において、ほとんど記憶にない。
(足踏みドンドンは、ミラノ聴衆の作法・鑑賞マナーではないので、おそらくきっと、駆けつけたドイツ人やアメリカ人がやったのだと推測する。)
極めつけが最後のカーテンコールで指揮者が登場した時の大爆発。
この絶頂の瞬間、キリル・ペトレンコは栄えあるスカラ座の歴史にその名を刻んだ。鮮烈、空前のスカラ座デビューだった。
私も、演奏中は舞台を見つつも、常にピット内に注意を傾け、音楽を統率する指揮官の様子をチェックしていた。
すべての音に魂を宿らせ、決して曖昧な処理をせず、的確な指示を送る。大胆かつアグレッシブに攻めると同時に、繊細な弱音も作り出して、歌手の発音(歌の旋律というより、むしろ「言葉」)を浮かび上がらせる。まさにこれが、ペトレンコの極意であり秘儀だった。
本プロダクションは、ザルツブルク音楽祭との共同制作。ザルツでは既に2014年に上演された。この時のライブはNHK-BSで放映され、また映像作品としてもDVDやブルーレイのソフトになっている。
舞台の設定は貴族社会の文化が色濃く残った原作の18世紀ではなく、20世紀初頭のウィーンに移行。装置や衣装もセミ・モダンでシック。背景に投射されたパステルカラー調のウィーン市街の写真が、懐かしく、そして哀愁を誘う。
ちなみに、今回のキャストでその10年前のオリジナル・ザルツにも出演していたのが、マルシャリンのストヤノヴァと、オックスのグロイスベックの二人。
そのストヤノヴァが、惚れ惚れするくらいに素晴らしい。
マルシャリンという役は、ただ歌うだけでは駄目なのだ。時が移ろい、忍び寄る老いの予感や愛する人が去っていく寂しさを滲ませつつ、「これで良かったのね」とすべてを受け入れ、静かに、誇り高く身を引く。
その美しい佇まい、高貴な後ろ姿を、歌だけでなく演技でも見せつけなければならない。
ストヤノヴァは、それをやった。目の当たりにした観客は、完璧な歌唱、シュトラウスの甘美な音楽とともに、目に涙が滲んだ。もちろん、カーテンコールでは怒涛の「ブラーヴァ!」がかっ飛んだ。
グロイスベックのオックスも見事。カッコいい容姿のおかげもあり、オックスが全然下品なオヤジにならない。むしろ壮年期の男らしさを見せつけていたのだが、こうした役作りはグロイスベックならでは。
あとは、ゾフィー役のドゥヴィエル。めっっちゃ綺麗でかわいい。
これはもう、オクタヴィアン「惚れてまうやろー!」。もちろん歌唱も言うことなし。最高のゾフィーである。
なお、ファニナール役のM・クラウスは、変更による代替出演。当初に配役されていたのは、ヨハネス・マルティン・クレンツレ。急性白血病を発症したとの公表があり、予定していた出演をすべてキャンセルし、活動を一時休止することになった。
白血病は怖い病気で、私もこの病気で母を亡くしている。だが、現代医学は着実に進歩している。ご回復を心よりお祈り申し上げたい。