クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2024/1/31 新国立 エフゲニー・オネーギン

2024年1月31日   新国立劇場
チャイコフスキー   エフゲニー・オネーギン
指揮  ヴァレンティン・ウリュービン
演出  ドミトリー・ベルトマン
管弦楽  東京交響楽団
エカテリーナ・シウリーナ(タチヤーナ)、ユーリ・ユルチュク(オネーギン)、ヴィクトル・アンティペンコ(レンスキー)、アンナ・ゴリャチョーワ(オリガ)、アレクサンドル・ツィムバリュク(グレーミン公爵)、郷家暁子(ラリーナ)、橋爪ゆか(フィリッピエヴナ)    他

 

本プロダクションは、2019年10月に新演出上演された物の再演。観ているので、つまりどんな感じの舞台なのか知っている、という状況であった。

私の場合、大抵において、一度観た再演物にはあまり触手が伸びず、パスすることが多い。
にも関わらず、本公演のチケットを買ったのは、現情勢下だと、ロシア人キャストが含まれる本格的なロシア物オペラを観る機会は限られ、今後も当分は望めないだろう、と踏んだからだ。
かつて「出稼ぎか?(笑)」と思うくらい頻繁だったマリインスキー劇場の来日公演も、今は昔。残念だが、仕方がないだろう。

また、今回のプロダクションのキャストには、A・ゴリャチョーワ、E・シウリーナ、A・ツィムバリュクなど、国際級の実力歌手が揃った。知名度だけなら、間違いなく前回の初演キャストを上回るだろう。こうした魅力に惹かれたのも、公演に足を運んだ理由の一つ。

ただし、余計かもしれない心配も浮上。
指揮者ウリュービン、ユルチュク、ツィムバリュクの3人は、ウクライナ出身。
そして、シウリーナ、アンティペンコ、ゴリャチョーワ、ユシュマノフがロシア出身。

おいおい、いいのかよ、大丈夫なのかよ、という懸念。

まあ、出演契約した以上はプロフェッショナルに徹するだろうから、問題はないということなのだろうけどさ・・・。
それに、あくまでも出身地がそうなだけであって、現在の所在や活動拠点は、とっくに出身地を離れているという可能性や個別事情も、あるかもしれない。

実際、カーテンコールでは、みんな笑顔で仲良くお手々繋いで答礼していた。この際、変に政治視点を絡めて彼らの心中を詮索することはやめるとしよう。


全体的な感想として、歌手の出来栄えには大いに満足しつつ、「まあ、これくらいやってくれるだろう」みたいな期待どおりだったわけだが、むしろ、ノーマークだったのであまり期待していなかった指揮者ウリュービンが築いた音楽が、予想を遥かに超えて素晴らしく、感服した。

なんつうか、もう「これぞチャイコフスキー! これぞオネーギン!」という音楽だったのだ。濃厚でありながら、かつ優美、そして切なく、懐かしく・・。作品という素材を磨き、際立たせる音作り。
歌手への寄り添い加減も絶品。
つい先日の藤原の「ファウスト」を振った阿部さんもそうだったけど、オペラの主導権がしっかりと(歌手ではなく)指揮者にある、というのは、本来当たり前のことかもしれないけど、改めて素晴らしいことだと思った。


歌手については、上記のとおり。
なんだかんだ言っても、外国人キャストの貢献度が大きい。一人一人の個別の感想評価は、省略。傑出した人も見劣りした人もおらず、みんな揃って高水準だった。


演出について。
古いプロダクション(1922年のスタニスラフスキー版)を元にしていることもあり、装置や衣装など概観的にはオーソドックスタイプに見えるが、細かな描写、人物の動きについては、かなり手が込んでいる。特に、民衆の扱いについては、かなり思わせぶりで示唆に富み、面白い。
また、「手紙」を一つの鍵にして、場面、人物、時の流れを紐付けて見せるという解釈と演出手法も、見事だ。

個人的に残念だったのは、決闘の場面で、偶発的な拳銃操作でレンスキーに弾が当たってしまい、決着がついてしまう、というところ。
厳格な作法、しきたり、ルールに基づいて行われるからこそ、「決闘」という野蛮行為が、当時、裁判に代わって認められていたわけで、それをあのように処理したら、レンスキーは浮かばれず、ストーリーや時代考証が台無しになると思う。
ただし、もちろんこれは個人的な考え方、捉え方の相違なだけ。

あと、毎度辟易してしまうのだが、概して日本人の演技って、おしなべてわざとらしく、「一生懸命演技してます」が滲み出て、カッコ悪いんだよなー。ダサい。
もうちょっと何とかならんのか。いつもそう思う。


午後5時15分終演。この後、ダブルヘッダーサントリーホールに向かう。