北陸が大きく揺れ、文字どおり震撼して正月気分も一気に吹き飛び、何だか波乱、不気味な年を予感させる幕開けとなった新しい年。
テレビ各局は災害報道一色となり、お正月恒例のバラエティ番組も途端に姿を消した。元旦は、大晦日と同様、各局が一年でもっとも力を入れ、視聴率を競う看板番組を並べるはずだったから、収入源のCM放映の影響と併せ、まさに二重の直撃だったことだろう。
同じく、元旦恒例のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートも放送延期に。
もっとも、予定どおり放送されていたとしても、ウィンナ・ワルツを中心としたプログラムにはあまり興味が沸かないので、私はどうせ見なかったけどな。
あ、でも、チラ見くらいはしたかな。ティーレマンだったしな。
早くも来年のニューイヤーの指揮者が発表され、リッカルド・ムーティとのこと。
何だかあまり代わり映えのしない、盤石安定路線(笑)。
もっともニューイヤー・コンサートなんて、元々そういうものなのだから、これでいいのかもね。
年末から年明けにかけて、自宅にて録画しておいた映画を2本とオペラ1本を観た。
映画は「オットーという男」、「おみおくりの作法」。オペラは、厳密にはオペラではないかもしれないが、演出付きのベルリオーズ「ファウストの劫罰」。
まったくの偶然で、そういうチョイスをしたわけではないのに、この3つ、全部「独居老人の悲哀」というテーマが根底に敷かれていて、後から気が付き、身につまされる思いがして唖然としてしまった。
自分もそういうことを意識せざるを得ない年代。嫌だなー(笑)。
映画の内容自体は2つとも、とても良いと思いました。
「ファウストの劫罰」は、ローマ歌劇場が2017年に制作した舞台ライブで、D・ガッティ指揮、D・ミキエレット演出版。
この映像でちょっと気が付いたのは、ソリスト歌手が自分の耳元に小型マイクを設置していたこと。
劇場での鑑賞だとほとんど気が付かないと思うが、映像として収められ、クローズアップされると、はっきりと装着が見て取れてしまう。
おそらくこれ、プロンプターの役目を小型マイクが担い、演出上の所作の指示や、歌詞の失念を防ぐためのリードについて対処しているのだと思う。ローマ歌劇場だけでなく、他の劇場の映像でも、見掛けたことがある。
プロンプターという任務の人が舞台前方のボックスに入って行うのではない、新たな手法。これも、一つの時代の趨勢。歌手にとって、劇場にとって、お互いに便利で有益なのであれば、どんどんと採り入れるべきだし、今後もそういう方向に向かっていくことだろう。
さて、内に籠らず、世界の情勢に目を向けてみると、相変わらず戦闘が続いていて、厳しい、混沌とした状況だ。
紛争地域に居る人々に思いを馳せると、本当に悲しくなってしまう。一刻も早く平和が訪れて欲しい。
ネットやSNS上では、国連の機能不全を嘆く声が多数上がっている。世界の平和と安定に寄与すべきはずの安全保障理事会が、大国の思惑に左右され、拒否権によっていとも簡単に無実化されてしまうという理不尽。
このため、「現状の安保理を解体して、新たな組織を創設せよ!」みたいな意見が出てくるのも、ある意味当然の成り行きだと思うが、実際はそんな単純かつ安易な話ではない。
おそらくだが、そういう改革案が現実的に提起された場合、拒否権を所持している常任理事国、アメリカ、中国、ロシアなどは、「拒否権を奪うのなら、国連から脱退する」と脅してくるだろう。つまり、拒否権の付与は、大国を国連に繋ぎ止めておくための必要悪。はっきり言ってどうしようもないのだと、私は思う。
紛争にまみれている中東情勢のさなか、今年はウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラの来日が予定されているが、本当に実現するのだろうか。
パレスチナとイスラエルの若い音楽家たちが、バレンボイムという偉大な指揮者の下に集い、和平の象徴を担いながら活動を続けているが、こういう状況下で本当に一緒に音楽を奏でることが出来るのだろうか。演奏家たちも、いざ参加するとなれば、重たい十字架を背負わされることになり、厳しい判断を迫られることになるだろう。
バレンボイムの健康状況と併せ、どうなっていくのか、動向を見守っていきたい。