飯守泰次郎さんがお亡くなりになられた。
ご冥福をお祈りしたい。間違いなく日本の楽壇の一翼を担っていた巨匠。根強いファンも多かったので、今回の訃報は各方面に驚きと悲嘆と惜別の念をもたらしたことだろう。
まだ現役の最中で、特に東京シティ・フィルハーモニックとは、今年の4月にブルックナーの8番と4番を立て続けに演奏し、今後の新たなチクルス展開を予定していたという。まことに残念なことである。
多くの方々にとってきっとそうだと思うが、私も同様に、飯守さんと言えば「ワーグナー」。
新国立劇場芸術監督在任時に上演を果たした「ニーベルングの指環」チクルスが記憶に新しいが、画期的なこととして今もはっきりと覚えているのが、東京シティ・フィルとのコンビで2000年から4年をかけて敢行され、「オーケストラル・オペラ」と銘打った「指環」チクルスだ。
シリーズのスタートとなる「ラインの黄金」公演にあたり、私はチケットを買ったものの、正直に言ってあまり期待をしていなかった。特にこの頃のシティ・フィルについては、演奏技術的にちょっと見下していた部分もあって、響きの厚いワーグナーを本格的に演奏できるのか、やや懐疑的な目を向けていたのだ。
蓋を開け、良い意味で予想を裏切られた。
歌手のレベルはさておき、オーケストラの演奏は非常に充実していた。「へえぇー、シティ・フィル、やるじゃんか!」
この時、これは間違いなく指揮者飯守さんの統率の成果だと驚嘆したのであった。
飯守さんが自らピアノを弾きながら作品解説するトークショーに行ったことがある。
確か2008年、新国立劇場の地域招聘事業としての関西二期会によるR・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」公演にあたっての作品解説だったと記憶する。
細かい解説内容はさすがに覚えていないが、この時感じたのは、スコアの構成、響きや旋律、転調の動かし方などについて、非常に的確かつ論理的に説明していたことだった。
指揮者によっては、作品を感覚的に捉え、テンポや音色などに独自のアクセントを加えながら音楽を創造展開していくタイプがいる。
一方で、スコアを見つめ、作曲家の意図を探り、ひたすら作品の真の姿の探求に専心しようとする指揮者もいる。
飯守さんは、たぶん後者なんだろうなと思った。
個人的なエピソードを一つ。
私の大学時代の友人、大学オーケストラの同じメンバーで、飯守さんの絶大な信奉者だった人がいた。
大抵の連中は、好きな指揮者と言えばカラヤンとかバーンスタインとかアバドとかムーティとか、海外アーティストを挙げる人がほとんどだというのに、そいつ(Tくんと呼ぼう)は、何かといえば「飯守先生が、飯守先生が・・」と言って憚らない、ちょっと変わったヤツだった。
あまりの熱心さが高じて、Tくんは大学卒業後、なんとシティ・フィルハーモニックの専属合唱団である東京シティ・フィル・コーアの入団を果たす。
別に合唱に興味があったわけでもなく、ただ飯守泰次郎指揮の下で演奏したい一念だったというから、その心意気たるや実に見上げたものだ。
そのTくんがついにステージに立つというので、お呼ばれされたこともあり、演奏会に出掛けた。
公演は、2004年10月、東京シティ・フィル定期演奏会のマーラー「復活」。
演奏終了後、東京文化会館の楽屋入り口でTくんを待っていると、私を見つけたTくんが「おう、これから飯守先生のところに挨拶に行こう!」と声をかけてきた。
一般のファンだと、楽屋に直接出入りすることは原則禁止で、サインを欲しい人たちは皆入り口付近で列を作って待機するのが通例だが、私は彼のおかげでスタスタと楽屋に侵入。そこに、たくさんの関係者に囲まれていた指揮者を発見。
わずかな間隙を縫い、大胆にもTくんが突入。彼は「先生、本日は素晴らしい演奏をありがとうございました」と礼を述べた。
これに対し、飯守せんせ、特に何も言わなかったけど、笑顔でTくんに手を差し伸べ、握手。なんと、その流れで、隣りに立っていた私にも手を差し伸べてきた。
戸惑いつつ恐縮しつつ、ペコペコと頭を下げ、僭越ながら私も握手をしていただきました。
私のこれまでの長いクラシック人生の中で、指揮者という人種と握手したのは、わずかに2回のみ。故:岩城宏之氏と、この飯守泰次郎先生だけである。
Tくんとは、その後、すっかり疎遠になってしまい、最近はまったく連絡を取っていない。
どうしているのだろう。元気にしているのかな?
いずれにしても、今回の残念な知らせを受け、相当なショックを受けていることは間違いないだろう。