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ラツィオの思い出

サッカー日本代表の中心選手である鎌田大地選手が、イタリア・セリエAのSSラツィオに移籍することになった。
噂されていたACミランの移籍が御破算になるなど、ファンをやきもきさせたが、新シーズンの開幕が迫る中で、ようやく新天地が決まった形。ラツィオは昨シーズンのリーグ戦を2位で終え、今シーズンのチャンピオンズリーグ出場が決まっている。本人もホッとしていると同時に、新たな活躍の場でさぞや闘志を燃やしていることであろう。

私自身も、少しだけ感慨を持ちながら、このニュースに見入った。
そうか、ラツィオか・・・。

ラツィオには個人的に思い入れがある。特に、ファンと言うほどでもないが。

本拠地であるローマのスタディオ・オリンピコ(オリンピック・スタジアム)には、これまで4回訪れて観戦しているが、そのうち3回がラツィオの試合だ。(あと1回は、ローマを本拠地にするもう一つのチーム、ASローマの試合。)


ここで、昔話、思い出をちょっと語ってみたい。

初めてのラツィオ戦は、イコール初めてのイタリアでのサッカー観戦だった。(その前にドイツ・ブンデスリーガイングランド・プレミアリーグの試合は体験済で、ヨーロッパでのサッカー観戦3度目だった。)
1995年5月。もう28年も前のこと。

この当時、セリエAはヨーロッパ最高峰のリーグだった。
ACミランユベントスインテルラツィオ、ASローマ、フィオレンティーナといった強豪が群雄割拠し、激しいスクデット争いを繰り広げていた。現地イタリアでの観戦は、私の夢。その初めての夢の舞台がラツィオ戦だった。対戦相手はサンプドリア
この試合に出場した選手をざっと挙げると、ラツィオシニョーリ、カシラギ、ボクシッチ、ネスタ、ネグロ、ガスコインなど。
一方のサンプは、現イタリア代表監督マンチーニを始めとして、D・プラット、R・フリットミハイロビッチなど。各国代表、錚々たるメンバー。まさに夢のような試合だった。


二度目は2000年3月。対戦相手はインテル
ローマ市内にあるオフィシャルショップでチケットを購入した後、友人とランチを取るためにレストランに入り、テーブルにて買ったばかりのチケットを二人でしげしげと眺めていた時だった。
いきなり、店員が我々のチケットをサッと取り上げた。

ラツィオ、ノーー! ブゥーーー!!」

ニヤニヤしながら、わざと我々に聞こえるように、他の店員と話を始めた。
「このジャポネーゼたち、ラツィオの試合を観るんだってよ。マジかよ。」
「あー、そりゃいかん。そりゃ絶対にけしからんなー。」

イタリア語は分からないが、間違いなくこんなことを言っていた。
私は尋ねる。「あなたたち、ロマニスタ?」
「あったりまえじゃんか。ラツィオは最低、クソッタレだね。」と彼ら。

もちろんこれは、単なる笑い話、エピソードである。
だがこの時、街を二分するとも言われるライバルチームのサポーターの仁義なき忠誠心にいたく感服したのであった。


そこから更に2年か3年経った後。(記録が残ってないので、定かでない。)
ついにローマ対ラツィオの「ローマ・ダービー」を観るチャンスが訪れた。
「チャンスが訪れた」と書いたが、たまたま偶然のわけがない。この偉大なる試合を観るために、狙ってわざわざローマに駆けつけたのである。

チケットは無い。観光客が普通に買えるわけがない。完全にダフ屋頼みだった。
「めちゃくちゃ吹っ掛けられるかな?」と心配したが、意外とお手頃の価格で入手することができ、喜び勇んで意気揚々とスタジアムに入場した。

この日はラツィオの主催ゲーム。入場門から自分の指定席へは、最短距離を辿るのなら、ちょうどASローマのサポーターが陣取るゴール裏を抜ける必要があった。
私は何も考えずに、右手にコーラ、左手にハンバーガーを持ちながら、ゴール裏の向こう側を目指し、客席裏側の通路を歩いていた。

警備員(警官?)に呼び止められた。この先へは行けないという。
は?? いやいや、俺っちは自分の席に行きたいんだってば・・。
私は自分のチケットを提示した。

警備員はチケットに目もくれず、イタリア語訛りの英語で私に聞いてきた。
「あなたはロマニスタ? それともラツィアーレ?」

意味が分からない。別にどっちでもない。単に自分の席に行きたい、それだけだ。
だが、本日の試合はラツィオ主催だし、自分の席もラツィオ側だったわけだから、戸惑いつつも「ラツィアーレ・・・」とボソッと答えた。

警備員「ならば、こっち方面はダメ。反対側に回って。」

まさにその時だった。
近くで爆竹が「ドカーン」と鳴ったかと思ったら、一斉に花火や火炎瓶が辺りに投げ込まれた。どうやら、一触即発状態だったサポーター同士の衝突がついに勃発した模様。

カオス。大混乱。パニック・・・。
私の足元付近にも火炎瓶が飛んできて、炎が上がった。
「うわわぁぁーーー!!!!!!」
警官がすかさず催涙ガスを放射。私も巻き込まれた。途端に目が開けられなくなる。玉ねぎの汁を直接目にぶっかけられたような痛さ。
「ぎょえぇぇーー!! 死ぬっ!! 死ぬっ!!  ひえぇーー!!!!」
大声で喚き、叫び、目は開けられないが、とにかくその場を走って逃げる私。

ようやく落ち着いた場所に辿り着き、一息付いて、ハッと気が付いたこと。
こんな命がけのヤバい状態でも、私は決して右手のコーラと左手のハンバーガーを握りしめ、手放さなかったのであった。

もうすっかり、ぐるりと回って自分の席に行こうとする気力が失せた私。
とにかく客席に入り、いざとなった時いつでも身の安全を確保できるように、最上階のテラス通路に上がり、立ち見での観戦を決め込んだ。実際、そういう観客はたくさんいた。


凄まじいアクシデントがもう一度発生した。
誰だったかは忘れたが、とにかくラツィオにゴールが入った。
その時、スタジアムは怒涛のごとく揺れ、再びカオスとなった。
私の身の回りにいたラツィアーレが、狂ったように誰かれとなく抱き合い、雄叫びを上げて喜びを爆発させた。抱き合ってなんて言うと聞こえがいいが、要するにもみくちゃ、グッチャグチャだった。
私なんかは誰がどう見ても現地人ではないのに、狂喜乱舞に巻き込まれ、羽交い締めにされたかのように抱き締められ、そしてメガネを潰された。旅先で大切なメガネをぶっ壊された。茫然自失だった。


こんなにも激しく、熱く、こんなにも恐ろしいのか、ダービーというのは・・・。


年月が経つと、これらは逆に貴重な一生忘れられない思い出に昇華する。経験した人間だけが分かる本場のダービーのすごさ。想像を絶するような体験。


話を降り出しに戻すが、鎌田クンはそのチームに行くわけだ。
是非、選手として、ローマ・ダービーの凄さを体感してほしい。

もしダービーで得点し、勝利に貢献したら、神のように奉られる。
逆に、活躍できなかったら、袋叩きに合う。
頑張ってね。

2023-24新シーズンの開幕は、来週末からスタート。