クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2023/5/20 ピーター・グライムズ

2023年5月20日   ライプツィヒ歌劇場
ブリテン  ピーター・グライムズ
指揮  クリストフ・ゲッショルト
演出  ケイ・リンク
ブレンデン・グンネル(ピーター・グライムズ)、マルティナ・ヴェルシェンバッハ(エレン)、トゥオマス・プルショバルストロード)、カトリン・ゲーリング(セドリー夫人)、ランドール・ヤコブシュ(スワロー)   他


マーラー国際フェスティバルを鑑賞するために訪れたライプツィヒであるが、初日の鑑賞はなぜかブリテンのオペラ(笑)。

ちなみにフェスティバルとしては、同日、チョン・ミョンフン指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管によるマーラー交響曲5番のコンサートがあった。つまり、本当は「コンヘボのマラ5か、それともピーター・グライムズか」の選択であった。
でも私は迷うことも悩むことも無し。あっさりとブリテンに決定。
だって、マラ5はいつでも聴けるじゃんか。ピーター・グライムズはなかなか聴けない。新国立劇場が上演した2012年10月以来だぜ。そりゃブリテンでしょう。


出演キャストはほぼ知らない。指揮者も演出家も知らない。唯一、セドリー夫人役のカトリン・ゲーリングだけ、過去に聴いたことがあり、名前を覚えている。
別に構わない。何の問題も無し。ピーター・グライムズが聴けりゃ、それでいい・・・観る前はそう思っていたが、蓋を開ければ上演のレベルは非常に高く、感心した。これは儲けものだった。


まず、ピットの中のオーケストラの演奏が上手い。
そりゃそうだ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団なのだからね。
そういう意味では、ここライプツィヒ歌劇場は「あのゲヴァントハウス管がピットに入る歌劇場」として、もっと知名度が高まっていいと思う。

次に、「ほぼ知らなかった」歌手たちも、実力派ばかりだった。
特に、主役ピーター・グライムズ役のグンネルが、歌唱も演技も大熱演。
この人はひょっとして、ここの歌劇場の専属歌手なのであろうか。カーテンコール時の拍手喝采が非常に熱烈。「地元のファンから応援されている」みたいな雰囲気だった。


舞台は簡素だが、映像を随所に折り込み、視覚効果を高めていた。
また、このオペラの影の主役である田舎の漁村の人々が、主人公のピーター・グライムズを除け者にし、ピーターが孤立していく様子を丁寧に描いており、「群衆化した人々の冷酷さ、恐ろしさ」という作品の本質を確実に捉えているのも印象的だ。

演出家の現代的な独自解釈も、あちこちに散りばめられている。「へー、そうきたか」と感心した点もいくつかあった。

たとえば、ピーター・グライムズの徒弟で、最後に死んでしまう黙役の少年は、少年ではなく、二十歳くらいのハンサムな若者。
この若者に対し、未亡人のエレンがほのかに恋心を抱く。(そのように見えた)
もちろん筋書きどおりピーターのことも愛していて、若くてピチピチしたカッコいい青年に年甲斐もなくときめいてしまう、みたいな。
男と女の違いがあるが、やもめのハンス・ザックスが若いエヴァちゃんに淡い恋心を抱くのと同じ感じ??(笑)
いずれにしても、この解釈は斬新。

それから、物語のクライマックス、バルストロードがピーターに対し「沖に出なさい。そこで船を沈めるんだ。分かったか、いいな。」と告げ、死を選ばせる場面。

脚本上、その次のセリフは、エレンが発する「NO!」。

大抵の演出では、このエレンのNO!は、「そんな、なんて事を! ひどい、やめて、お願い!」とバルストロードに向けた翻意と許しを乞う意味の言葉になっているはず。私がこれまで観てきたのはすべてこのパターンだった。

ところが、今回の演出では、自死を宣告され、動揺してとっさに逃げようとするピーターに対し、エレンが立ちふさがり、「ダメ。もう終わり。諦め、覚悟しなさい。」と冷たく諭し、ピーターを突き放すNO!になっていた。

このシーン、ちょっとした場面だったかもしれないが、かなり革新的な解釈で、鮮烈な印象を受けた。


最後にもう一つ。
漁で上がる海鮮品が世界的な投機の対象となり、価格が高騰している、みたいな現代社会への警告を解釈として折り込み、映像で流した場面があったが、そこで使われた映像が、日本の板前職人の活造りの様子だったり、高値で取引されている錦鯉だったり、だった。

思わず苦笑。何だかしょっぱい感じがした(笑)。