少し前の話題で恐縮だが、音楽之友社は、同社が刊行する月刊誌「レコード芸術」を7月号(6月20日発売)をもって休刊にすると発表した。休刊というのは体の良い言い方である。実際は廃刊だ。間違いない。
長年の同誌の愛読者や録音愛好家、コレクターなどからは、大きな反響があった模様。70年も続いた雑誌であるだけに、残念がる人は多いのだろう。存続を求めて声を上げたり、署名や賛同を得るためのネット拡散活動を起こす人も現れたと聞く。
音楽之友社からしてみれば、ありがたい話としつつ、一時的な反響なんてどうでもいいから、継続的な売上げを支えてくれよ、黙って買ってくれよ、というのが現実的な内心、本音ではなかろうか。
よく、デパートやスーパーが閉店する際、閉店セールに押し寄せるお客が「残念です、寂しいです」なんてほざいているニュース映像を見かけるが、あれとまったく一緒。
そう。売上げ、販売部数の落ち込み、これなのだ。これに尽きる。
売れなきゃやっていけない。当たり前。雑誌に限らない。世の中に存在するありとあらゆる製品、提供されるサービスはすべて同じ宿命を負っているのだ。
これはもう時代の趨勢としか言いようがない。音楽を取り巻く環境が変貌を遂げている。
現状においてもCDなどの単体録音メディアはかろうじて生き残っている。だが、ジリ貧の一途だ。
「録音し、メディアに入れて売る」時代から、「ライブをネットで中継し、配信する」時代へ。
そして「見放題、聴き放題」のサブスクリプションの時代へ。
こうした流れは誰も止められない。
情報についても、演奏者や主催団体自らウェブのHPやSNSで発信していて、視聴者はそれらを簡単に無料で閲覧入手できる。
また、内容の評価についても、今や専門家の一言よりも一般多数の口コミの方が、信頼に足る絶対採点基準だ。
要するに、もはや有料情報誌や音楽評論家の論評をありがたく拝聴する必要なし、要らなくなってきているのである。
そういう時代だということ。どうしようもないし、仕方がない。それを選択し、方向性を支持しているのは、我々一般消費者なのだ。
私自身は古い人間だから、中学生高校生の頃からレコードを買い、大学生あたりからCDを買って、たくさんの録音盤を集めてきた。今だってそれらを愛聴している。
だがしかし、これまでに「レコード芸術」誌を購入したことはない。ただの一度も、だ。
同誌が選定する「特選盤」は、いかにも名盤名演奏の決定的なお墨付きを獲得したみたいに見えるが、実際は音楽評論家のたった二人が共に「推薦」というマークを付与しただけ。それだけで「特選」になる。
たった二人だぜ!?
それに、音楽評論家の評価そのものが、私には何だか胡散臭かった。
それ、客観評価じゃないだろ? 単なるあんたの独断と偏見、好みだろ?
あのさ、もしかして、レコード会社から「薄謝」「お心遣い」貰ってない? 賄賂とまでは言わんが。
お偉い音楽評論家の寸評によって売上げが左右されるのなら、そりゃレコード会社、配給元はあの手この手を使って良いこと書いてもらおうと画策するんじゃないの?
そのように勘ぐり始めると、レコ芸そのものがレコード会社の手下、販売戦略の一環、宣伝媒体なんじゃないかと思うようになったというわけ。
演奏に良い悪いはない。自分が気に入れば、それでいい。人の意見なんかどうでもいい。
それに、どんな演奏にも必ず演奏者のメッセージがある。それを自分が受け取れるかどうか。
私がレコ芸を頼らなかったのは、そうした理由だ。
そういうわけで、レコード芸術が廃刊になっても、私自身はとりあえず痛くも痒くもないが、やはり音楽産業の衰退傾向は危惧する。50年後100年後のことは知らんが、とりあえずもうしばらくは今までどおり音楽を視聴できる日々であってほしい。
「CDプレーヤーの製造中止」のようなイヤな「いつか」が忍び寄ってきそうな気配だが、もうちょっと待ってほしい、そんなことを憂い思う初夏の候・・。