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2023/4/8 ジークフリート

2023年4月8日  ベルリン州立歌劇場(フェストターゲ2023)
ワーグナー  楽劇ニーベルングの指環より 「ジークフリート
指揮  トーマス・グッガイス
演出  ディミートリ・チェルニャコフ
アンドレアス・シャーガー(ジークフリート)、シュテファン・リュガマー(ミーメ)、ミヒャエル・フォレ(さすらい人)、ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー(アルベリヒ)、ペーター・ローゼ(ファフナー)、アンナ・キスジュディット(エルダ)、アニヤ・カンペ(ブリュンヒルデ) 
    他


満を持して、ヘルデンテノールのエース、アンドレアス・シャーガーの登場だ。
ワーグナー歌手として世界にその名を轟かせるテノールと言えば、ヨナス・カウフマンやクラウス・フロリアン・フォークトなどもいるが、ジークフリート役に限って言えば、現時点ではおそらくステファン・グールドとシャーガーが二強だろう。で、私なら断然シャーガーを推す。
力強く、張りのある美声が劇場を制圧する。フットワークも軽快で、奔放な野生児を見事に演じる。シャーガーは2016年の東京・春・音楽祭のコンサート形式上演でもジークフリートを披露しているが、オペラの舞台上演で聴けるのは幸せだ。


さて、四部作のうち3つ目までを観てきたところで、そろそろチェルニャコフの演出について触れてみよう。

まあ、本当に困ったチャンなわけである。
チェルニャコフにとって読替えというのは当たり前で、「オーソドックスか、それとも現代的か、どっち?」みたいな選択肢はない。ゼロ。

私自身は決して読替演出は嫌いじゃないが、それでもその読替えには何らかの必然性が伴っていてほしいと思う。
ところが、チェルニャコフの場合、厄介なことに、いかに自らの発想をオリジナルから遥か遠くに飛ばせるか、かけ離れさせられるかに最大の焦点を置いている。彼の関心は、専ら「現代」もしくは「現代人」のみ。それだけ。リングで展開される壮大な神話の世界なんか、これっぽちも興味がないのである。

それゆえ、この物語に必要な多くのアイテムが無視されるか、もしくは矮小化されてしまう。現代に置き換えられない物は、彼にとって不要でしかないのだ。

全体の基本コンセプトは、おそらく「人体あるいは人類(老化を含む)の解明を行う研究」で、主舞台はその研究所ラボと、もう一つ、ごく普通の一般家庭の家の中、になっている模様。
(これまでにもチェルニャコフ演出を何度となく観ているが、このように舞台を家の中のホームドラマ風に仕立てるというのは多々あり、彼の特徴の一つになっている。)

ラインの黄金」では、アルベリヒが人体実験の被験者で、ラインの乙女たちはカルテを持ちながら様子を見つめる医療研修生。ストレスを与え、脳波などのデータをチェックしている。アルベリヒは指環を強奪せず、暴れて実験台から逃げ出していく。ヴォータンは研究所長か。当然、槍なんて持って出てこない。

ワルキューレ」では、ジークムントは一旦捕まったものの警察の目を盗んで逃亡を図った犯罪者。逃亡中に、警察官のフンディング家に侵入してくるという設定。ジークムントはヴォータンの手にかかって死ぬのではなく、再び警察の御用となって連行される。
ラストのブリュンヒルデは、ヴォータンの罰を受けて眠らされるのではなくて、人体実験工房の睡眠実験被験者となって、嬉々として実験台ベッドに乗っていく。当然、炎なんて出てこない。

ジークフリート」では、有名なノートゥンクの鋳造場面で、剣を作るのではなく、単に家の中で暴れて家具や柱をぶっ壊していくだけ。ファフナーは大蛇ではなく、おそらく凶暴な殺人鬼の人体実験被験者(『羊たちの沈黙』のレクター博士みたい)で、ジークフリートとの対決も、結局は実験の一部といった具合。

以上は、目に見えたごくごく一例である。

こうした突拍子もない解釈に対して、いちいち文句を言っても始まらない。上に書いたとおり、チェルニャコフにとって、いかにオリジナルからかけ離れさせられるかがポイントなわけだから、どうしようもないわけである。むしろ、「よくまあこんなふうに想像を飛躍させられるな」と、感心しなければならない。そうでもなけりゃ見てられん、って感じだ。

保守的愛好家からしたら、こんな酷い演出家はいない。
ところが、メトのような劇場を除けば、彼はヨーロッパのあらゆる一流歌劇場から新制作を依頼される、引く手あまたの超売れっ子ときている。

では、なぜそうなるのか。
それは、オペラという芸術を単に伝統的に守り続けるだけでは、新しい、次の世代の若い愛好家を獲得することが出来ないという、劇場側の強い危機意識があるからだ。
現状のお客さんはジジババばかり。若い人に向けて魅力のある芸術を発信するにはどうしたらいいのか。
熟慮の末の結論が、現代に通じた、今の視点からの制作を提供するということ。劇場は存亡を賭け、必死に挑戦しているわけである。

ただなあ・・・。
若い世代を呼び込むために、伝統芸術を次世代まで繋いでいくために、現代演出は本当に有効な切り札なんだろうか。そこらへんは私的には疑問だけどな。