2023年2月26日 ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノ・リサイタル すみだトリフォニーホール
ショパン ポロネーズ第7番 幻想
シュピルマン ピアノ組曲 ザ・ライフ・オブ・ザ・マシーンズ
ヴァインベルク ピアノ・ソナタ第4番
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第8番 戦争ソナタ
第16回ショパン国際ピアノコンクールを制したアヴデーエワを聴くのは、そのコンクールが行われた年の2010年12月以来。およそ12年ぶりの2回目だ。一昨年にも来日が予定され、チケットも購入済だったが、コロナによる入国禁止措置により中止になった。
せっかく制限が緩和されつつあるというのに、今度はロシアが仕掛けた戦争の問題が降りかかってきた。ロシア人アーティストにとっては依然として厳しい状況だが、徐々に「国と個人は別」という風潮が出来上がりつつあり、そうした中での来日である。
今回のプログラムを見渡すと、彼女なりの思うところが伝わってくる。
ホロコーストの生存者シュピルマン、ナチス・ドイツの侵攻からロシアに逃れたヴァインベルク、ロシアの作曲家だが現在のウクライナのドネツク州に生まれたプロコフィエフ。しかも演奏作品は戦争ソナタ。
これら3人の作品を並べたのは、単なる偶然ではない。
極度の政治的な意図は無いかもしれないし、仮にあったとしても口に出して表明することは決してないだろうが、少なくとも、危うい世界情勢の時代に生きる人々に対する何らかの問いかけであることは間違いないのだ。
そうした暗黙に秘められた予備知識があるせいか、聴き手である私は、演奏に込められた彼女の主張、真意を一探ろうと、一生懸命耳をそばだてる。
ところが、アヴデーエワの演奏からは、感傷的なもの、悲壮感みたいなもの、あるいは訴えや叫びみたいなものは、感じられない。ただ、ひたむきに作品に向き合い、無我の境地で演奏に集中しているかのように見える。
あたかも、「今、我々演奏家が出来ることは、聴衆に音楽を届けることだけ」と言っているかのよう。
演奏家が主張するのではない。もしかしたら、「作品を聴き、その後に何を捉え、何を感じるかは、一人一人の皆さん次第」と、思いを委ねているのかもしれない。
彼女は、「音楽にはそうした力がある」と信じている。そして我々は、音楽を聴いたことで、将来の明るい希望を託されたのだと思う。
こうしたアヴデーエワの演奏家としての使命がこちらに伝わり、厳粛な思いに駆られていた時、最後のアンコール曲として、ショパンのスケルツォ第3番が演奏された。
ここで、初めて思い出した。そうだ、そういえば彼女はショパン・コンクールの覇者だったんだな、と。