2020年2月24日 アンネ・ゾフィー・ムター ヴァイオリン・リサイタル サントリーホール
アンネ・ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)、ランバート・オルキス(ピアノ)
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第4番、第5番「春」、第9番「クロイツェル」
ムター、また一つ階段を登ったな。そして、新たな領域に入ろうとしているな。
何度もムターの演奏会に行っているが、これが今回のリサイタルを聴いて感じたことだ。
多くの人が彼女のことを「ヴァイオリン界の女王」と呼ぶ。私もそう見ていた。
それは、近年、彼女には女王と呼ぶに相応しい風格と、高貴な美しさが備わっていたからだ。
演奏は鋭敏で研ぎ澄まされ、眩しい。そこにはオーラがあり、品格があった。
と同時に、それらは威厳を伴い、ある種、近寄りがたいほどでもあった。
今回のリサイタルの演奏には、そうした「近寄りがたいほどの威厳」が消えていたのだ。
決してやわになったわけではない。集中力も、燃焼性も、すべてを作品に捧げる献身性も、いつもどおり最大限である。
ただそこに、泰然として、大きくて、包容力のあるベートーヴェンがあったのだ。母の愛を感じるような優しいベートーヴェンだったのだ。
以上のような兆しは、もっと分かりやすく、ピアノ奏者オルキスとの掛け合いの中に見て取れる。
その間柄は、ソロと伴奏、女王様と執事、みたいな主従関係ではなく、もはやなんだか絶妙に溶け込んだ夫婦みたいだった。(アンコール演奏の時も、ムターが曲の紹介を客席に向かって語りかけると、オルキスがそこに程よく合いの手を入れて、会場を沸かせていた。)
そんな穏やかな優しさを見せつけたムターを、あえて女王様と呼ばないのなら、いったい何と形容すればいいだろう。
「円熟の域に到達しようとしている名匠」
そんなことを言ったら、彼女に「そんなに年取っていないわよ!」と怒られそう。
でも、なんだか私には、かつて「皇帝」と称されて君臨し、音楽を絶対的に支配していたが、近年は円熟の境地に達し、悠然とタクトを振っている‘あの’指揮者とかぶって見える。
‘あの’指揮者というのは、そうよ、もちろん‘あの’指揮者のことよ。私の大好きな指揮者。言わずもがな。
だから、「円熟」というのは、最大級の褒め言葉ですってば、ムターさん。