クラシック、オペラの粋を極める!

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2022/11/23 新国立 ボリス・ゴドゥノフ

2022年11月23日   新国立劇場
ムソルグスキー  ボリス・ゴドゥノフ
指揮  大野和士
演出  マリウシュ・トレリンスキ
管弦楽  東京都交響楽団
ギド・イェンティンス(ボリス・ゴドゥノフ)、アーノルド・ベズイエン(シュイスキー)、秋谷直之(アンドレイ)、ゴデルジ・ジャネリーゼ(ピーメン)、工藤和真(グリゴリー)   他


芸術監督大野和士が放った直輸入の世界最先端プロダクション。
日本ではまだまだオーソドックス志向が根強いが、本場欧州では「作品に新たな解釈を注入して、いかに現代的に蘇らせるか」を世に問う演出が専ら主流。もちろんすべての現代演出が良いわけでは決してないが、こうした潮流にしっかりと向き合い、積極的に採り上げていくことは、すなわち歌劇場の未来に向けた挑戦である。欧州の劇場でそうしたミッションをやり遂げてきた大野さんの果敢な試みは評価しなければならないし、少なくとも私は絶大支持する。
(毎年のようにお子様ランチが並ぶシーズンプログラムは、何とかしてほしいが・・)

また、大野さんは、今回の演出を担ったトレリンスキ氏と、2018年のエクサンプロヴァンス音楽祭でのプロコフィエフ「炎の天使」の制作で協働している。こうした世界とのコネクションを活かせるのも大野さんの強み。そのメリットはそのまま日本のオペラへの恩恵となろう。

更に、今回のプロダクションはポーランド国立歌劇場との共同制作で、諸事情あって、先に日本でプレミエを迎えることとなった。このため、トレリンスキを始めとする演出の外国チームがこぞって来日し、劇場関係者や歌手たちと直接的に共同で作り上げていった。これも、レンタルでは得られない貴重な機会と大きな財産をもたらしたに違いない。


そういうことで、出来上がった舞台は、案の定相当に尖っており、訴えかけるものがあって刺激的だった。

元々、このボリスという作品自体が、現代演出に適していると思う。
イタリアオペラにありがちな、愛だ恋だ三角関係だみたいな俗っぽい物語ではない。独裁者のドス黒い欲望にまみれた血みどろの権力闘争の史実である。冠を奪取し権力を維持するために実の息子を含む数々の敵対勢力を葬って来た挙句の果てに、犯した罪や陰謀の恐怖に慄き、錯乱するというストーリーは、まさに心理描写を得意とする現代演出家にとって格好の題材。トレリンスキも、さぞや腕が鳴ったことだろう。

だからといって、まさかボリスの息子フョードルを重度の脳性麻痺障がい者に仕立て、なおかつ聖愚者役と重ね合わせるとは・・・。
賛否両論あるだろうが、私なんかは単純にその想像力に驚愕してしまう。リブレットの薄っぺらい読み込みや単なる思い付きでは、決して辿り着かない意外性。で、そこに到達してしまう演出家の思考の深さと飛躍的な展開力。いやはや恐るべし・・。

確かにこの読替えは突拍子もない。だが、そうすることで主人公の苦悩(独裁者は往々にして権力を世襲させたがるが、障害の存在が重大な足枷となる)に重みが増し、一定の説得力を伴わせる。障がい者ゆえの純粋無垢な真実の告白(聖愚者によるボリスの息子殺しの告発)が更にボリスを苦しめ、首を締め付ける。追い詰められた結果としてまたもや我が子を殺めることとなり、最後はムッソリーニのように民衆によって吊るされる・・・。


それにしても、この物語に潜む独裁国家の興亡、絶対権力の危うさが、なんと現在の世界情勢にタイムリーに訴えかけてくることか。
今、私たちはウクライナで起きていることに決して無関心でいられない。そして、今回の舞台を観て、某国とその権力者にその姿を重ね合わせて見つめている。
ところが、この演目の上演が決まったのは戦争前だったし、トレリンスキがこのようなドラマトゥルギーを思い描いたのも、同様であったはず。
つまり、この「ボリス・ゴドゥノフ」は、実は元々時代を越えた人類への警鐘になりうる普遍的な超問題作だったのだ。


大野さんが紡いだ音楽も、これまた演出と同様に強い説得力に満ちていた。
ロシア音楽らしい、あるいはムソルグスキーらしい重厚さ、スケールの大きさはそれほど強調されていなかったが、これはおそらくトレリンスキとの綿密な協議の中で、主人公の心理面にフォーカスするための音楽をあえて作ったのだと思う。つまり、音楽と演出が同じ方向を向くことで一致していたのである。

興味深いことに、歌手についても同様の傾向が見られた。難しいロシア語を扱っていることもあり、大抵の場合は外国人キャストと日本人キャストで出来具合に差が生じやすい。
ところが、外国人日本人関係なく、それぞれが演劇的要素に重心を置いた語りのような歌唱に徹していた。あたかも音楽的進行はピットの中、あるいは作品そのものに語らせていたような気がして、その点でも音楽と演出の方向性がマッチし、成功していたのではないかと思う。


最後に、重度脳性麻痺障がい者役を演じた外国人女優の演技は、凄みを感じさせるものだった。