クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

1990/11/23 ウィーン1

この旅行で利用した飛行機は、アエロフロートソビエト国営航空である。
経由地のモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港ではウィーンへの同日乗換便が無かったことから、トランジット滞在としてモスクワに一泊した。
実は、この時のエピソードを、今年の5月に「モスクワの思い出」と題してブログ記事にしている。ご覧いただいた方、「ああ、あれね」と思い出してくれた方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない。今回の旅行記の一環として、いちおうリンクを貼っておく。

モスクワの思い出 - クラシック、オペラの粋を極める!


このアエロフロート、今では信じられないが、当時、モスクワから出発するフライトは自由席だった。日本からの出発だと、モスクワまでは指定席、乗換便は自由席。帰りの場合、モスクワまでが指定席、成田行きが自由席。
長距離区間となるモスクワ-成田を少しでも快適なシートで過ごしたいがために、搭乗が始まるかなり前から頑張ってゲートに並んだことを思い出した。


さて、モスクワを出発し、目的地のウィーンにはお昼頃に到着。
さっそくやらなければならないことが幾つかあった。

まず、ホテルの確保。
まだ海外旅行駆け出しの頃、お一人様旅行では、ホテルは事前に予約せず、現地で探そうとしていた。
現在のように、オンラインウェブサイトで簡単に探せるシステムは無い。事前予約したかったら、旅行代理店に手配を依頼するのが一般的。あとは自力で電話したり、予約申込みのフォームを郵送するくらいしかなかった。色々と面倒くさい時代だった。

空港の観光案内所を訪ね、ホテル探しを依頼。担当者に希望の条件となる予算とロケーションを提示したところ、あっさりと「ありません!」と断られてしまった。
私の希望は、「一泊あたり5千円~8千円くらい」「旧市街リンク通りの内側」というもの。

ネックとなったのが、「リンク通りの内側」というロケーション。
そこはウィーン市の中心、ど真ん中エリア。当然のことながら、4つ星以上の高級ホテルばかり。そこにバックパッカーみたいな格好の若者が1つ星か2つ星くらいの予算で探せという無茶な相談。お話にならなかったのだ。担当者に鼻で笑われたのも仕方ないな。

選択肢は2つ。
予算を上げるか、リンク外で中心部から離れた場所で良しとするか。
私は予算をキープすることにした(貧乏旅行だもんな)。中心部から少し離れたペンションを選んでもらった。ホテルではなくペンションだと聞いて少々不安だったが、行ってみると、トラムの停留所の目の前で交通の利便性は良く、部屋の広さも十分で、設備も不便はなく、満足の滞在場所だった。

次にやるべきこと、飛行機のリコンファーム。
今はもう大多数の方がこのリコンファームのことを知らないのではなかろうか。その昔、国際フライトでは、必ず現地で帰りの便の予約再確認を行う必要があったのである。これを怠ると、一方的に予約が取り消されてしまう場合があるという。そうなれば帰国が出来ない。なんという恐ろしいしきたり。
いやー、今となっては信じられんね。ちゃんと金払って予約しフライトを確保しているのに、何でいちいち再度の確認連絡を入れなきゃならんのだ??

手続きとしては、航空会社の現地の支店オフィスに電話し、リコンファームを告げればいいというものだったが、何よりも重要な手続きであり、間違いがあってはエラいことなので、私は電話ではなく、ウィーン市内にあるアエロフロートの支店にわざわざ出向き、直接言い伝えて手続きを行った。

このクソみたいな慣習手続き、まあ当然のごとく、数年後にはメジャー航空会社のほぼすべてで撤廃の方向となるわけである。


やらなければならないこと3つ目、演奏会の情報収集とチケット購入。
4泊の滞在のうち、二日目と三日目はウィーン国立歌劇場公演の鑑賞で決まっていたが、初日と最終日は何も決まっていなかった。「ウィーンなんだから、何かやってるだろう」という確信の下、現地で調べて、気に入った公演のチケットを買おうとしたわけだ。

ジークフェラインのチケットオフィスを訪ね、さっそく何をやっているのかを調べた。
初日の夜、つまりこの日の夜、2つのコンサートが催される予定だった。
一つが、大ホールでORFオーストリア放送交響楽団のコンサート。
もう一つが、室内楽ホール(ブラームスザール)でブリギッテ・ファスベンダーのメゾ・ソプラノリサイタル。

ファスベンダーのリサイタルは、かなり魅力的だった。
私が初めてオペラに触れたのが、レーザーディスクで観たカルロス・クライバー指揮のバイエルン州立歌劇場の「ばらの騎士」映像。ご存じの方も多いと思うが、この収録にオクタヴィアン役で出演していたのが、ファスベンダーだった。今だったら、間違いなくファスベンダーのリサイタルの方を選ぶだろう。
しかし、当時の私としては、ムジークフェラインの大ホール「黄金の間」で、なんとしてもオーケストラコンサートを聴きたかった。それがこの旅行の大きな目的の一つだったからだ。

本当はオーストリア放響じゃなくてウィーン・フィルが良かったが、そううまくはいかない。
メインプログラムはZ・コシュラー指揮のヤナーチェク「グラゴル・ミサ」で、4年前にもやはりコシュラー指揮の都響で聴いていたため、新鮮味に欠けたが、それだって文句は言えない。要するに、飛び込みでの音楽鑑賞なんて、所詮そんなものなのだ。

それよりも問題だったのは、チケットの残券が僅少で、残っていたのはカテゴリー1(S席)が少々と、あとは視覚的に良くない(ステージがよく見えない)席と、立ち見席のみだったこと。
せっかくの初ムジークフェラインでの鑑賞だし、思い切って奮発すればいいのに、この時私はケチってしまい、立見席を買ってしまう。「所詮はオーストリア放響だし・・・」ってなもんである。ひでえ。しかも超安くて、節約が出来てラッキー。

しかし、この選択が大間違い、大失敗であったことは、このあと実際の公演に出向いて気が付くことになる・・・。


以上、ウィーンに到着早々やるべきことをやっていたら、あっという間に時間は過ぎ、気がついたら午後3時近くになっていた。

日は短く、もう何となく夕方の雰囲気が漂っている。観光する時間はあまりなさそうだ。
とりあえずリンク通りを散策。前回初めてウィーンに来た時のリンク通り散策の続きで、主に国会議事堂と旧市庁舎の外観やフォティーフ教会などを巡った。