2022年4月22日 東京都交響楽団 東京文化会館
指揮 大野和士
藤田真央(ピアノ)
シルヴェストロフ ウクライナへの祈り
シューマン ピアノ協奏曲
R・シュトラウス 英雄の生涯
藤田真央クンの人気はすごい。大入りのお客さんのうち、確実に真央クン目当てが何割かいる。
私の目の前の列に座っていた3人のお客さんが、コンチェルト終了後の休憩中に姿を消し、空席になった。視界を遮る前の人の頭がなくなり、大変ありがたかったが・・・。
人気の程はともかく、彼のピアノは間違いなく一級品だ。圧倒的なダイナミズムを構築するタイプではないが、時おり演奏の中で見せるセンスが「ピカッ」「キラッ」と輝き、その光沢が実に眩い。この日のシューマンでも、特に第1楽章のカデンツァにおいて、研ぎ澄まされた感性に彩られていた。
ただし、全体としてちょっと不思議な印象に囚われた。
安定の支えでソロを際立たせるはずの大野さんのリードが、ソロの演奏と乖離しているように感じたのである。
大野さんはオーケストラから瑞々しく精緻なアンサンブルを導き出し、それはそれで実に音楽的だった。仮にソロがなくても、オーケストラ演奏だけで十分に楽しめるくらいにまとめ上げていた。
だが、如何せんソロと融合していない。
方向性が違っていたのか、あるいは方向は同じだったが、飛んでいる位置が違っていたのか。
メインの「英雄の生涯」を聴いて、またまた考え込んでしまった。
音楽の仕上げ方がシューマンと一緒だったのだ。つまり、各パートの緊密なアンサンブルを築き上げ、これらが有機的に結び付き、極めて精度の高い音楽を完成させたのである。
ということは、コンチェルトであろうがなかろうが、オーケストラを指揮する基本スタンスがそういうことなのだろうか。
いや、でも・・・。
これまでにも大野さんの指揮で何十回となくコンチェルトを聴いているが、そんな風に思ったことはないよな・・・。うーむ。
まあいいや。とにかく英雄の生涯は(「も」か)、精巧な演奏だった。
この作品はシュトラウスの中でも最高峰の管弦楽技法が用いられており、オーケストラの勝負曲の一つ。外来オケの来日公演でも頻繁に演奏されており、いかにも外来オケらしい雄大で盤石で豊穣な響きに圧倒されることもしばしばだ。
大野さんのアプローチは、こうしたやり方とは一線を画している。
精巧さと緻密さで勝負。
ん? 待てよ。
もしかして・・・ワールドカップの対ドイツ戦、これ、勝利のためのヒント、カギにならないか??
なるほど~、そうか! 見つけたぞ(笑)。
ただ・・監督が・・・。