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2022/2/12 N響

2022年2月12日  NHK交響楽団  東京芸術劇場
指揮  鈴木雅明
ストラヴィンスキー  組曲プルチネッラ、ペトルーシュカ


このプログラムにこの指揮者・・・。
元々パーヴォが振る予定だったのは、R・シュトラウス。そのパーヴォがキャンセルとなった時、誰がどのようにしてこの絶妙のカップリングを見出しのだろう。先に指揮者が決まり、スズキ先生が「これやりましょう」と言ったのか、それとも先にプログラムが見直されてから、スズキ先生が抜擢されたのか。

いずれにしても、この配合は大正解だった。

よくよく考えてみれば、決して異色、突拍子もない組み合わせというわけでもない。
バロックや古典を主戦場とする鈴木さんが、新古典主義に位置付けられるプルチネッラと、新古典主義に移行した後の時代に改編されたペトルーシュカ(1947年版)を見つめる。すると、そこに延長上の一筋の流れが現れるわけである。

この一筋の流れを鈴木さんが解明し導き出していく様子は、十分に伺われた。もう何だか嬉々として、この作品の演奏が楽しくて仕方がないといったタクトぶりだった。
きっと、時代の変遷によって音楽が発展していき、その後、もう一度立ち止まって古典の手法が見直されるという痕跡が、ストラヴィンスキーの作品の中に潜んでいたことを見つけたからだと思う。

演奏は、実に生き生きとしていた。(何だかありきたりのつまらん言い方ではある。)あたかも、おもちゃの人形に命が宿って踊りだすかのような楽しさ、賑やかさ。情景描写は鮮明であり、動機の引き出しが明確。ソロやパートのアンサンブルも精妙。そこらへんは、実力者集団N響の面目躍如でもある。


一方で、一つ気が付いたことがあった。
これは決して鈴木さんに対するネガティブな批判ではなく、単純に気が付いただけのことなので、お断りしておきたい。

本公演に臨むにあたり、指揮者の準備は入念、万端。すべての解釈や表現は、たぶん予め決まっていたんだと思う。要するに、リハーサルで鈴木さんが指揮台に立った時点で、音楽はもう100%出来上がっていたのだ。

これがもしパーヴォだったら・・・と思わず想像してしまった。
パーヴォだって、事前の準備は万全であるに決まっている。
だが、彼の場合、オーケストラの反応によって方向性を変える余裕を残している。で、実を言うと、そういう指揮者はパーヴォだけじゃなく、特に外国人に多い。ラトルなんかその典型。

本番でようやく最後のパーツを決めていく。
生の演奏会では、こうしたオーケストラとの駆け引きによるスリリングさも、また一興なのである。