クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

読響の決断、都響の決断

読響と都響の以下の2月の2公演について、それぞれの事務局から中止の発表がリリースされた。
読響は、S・ヴァイグレ指揮のR・シュトラウスエレクトラ」演奏会形式上演。
都響は、大野和士指揮のブリテン「春の交響曲」(メイン)公演。
両公演とも非常に楽しみにしていたので、がっくり。残念の一言だ。

読響のエレクトラは、新シーズンラインナップの発表で見つけた瞬間、自分のカレンダーにスケジュールを入れたほどの大注目公演だった。世界の一流歌手が名を連ねた豪華なキャスト。実現すれば、大きな話題を呼んだことだろう。
逆に言えば、多くの出演者をそうした外国人に頼ったことで、入国禁止措置やオミクロン株の蔓延により開催実現が危うくなり、やがて絶望視されたのは、順当の成り行きだった。ある意味予想どおりなので、待ち望んでいたファンも「やっぱり」「まあ仕方がない」と納得、諦めが付くだろう。

それにしても、コロナさえなければ、2月第2週のウィークエンドは、二期会の「影のない女」、読響の「エレクトラ」、N響の「アルプス交響曲」という連続公演、R・シュトラウス祭りだった。滅多に無い機会。私を含むシュトラウスマニアにはたまらない、極上の日々のはずだった。

それが、全滅だもんなぁ・・・。
泣きたくなっちゃうね。もうコンサートゴーアーやめたくなっちゃうね。

読響は本公演の穴埋めとして、井上道義氏を迎えてショスタコ5番をメインとする代替コンサートを行うと発表した。

代替自体には何の文句もない。どうぞおやりください。
が・・・。
プログラムは、もうちょっと何とかならんもんだったかのう・・。
なぜなら、元々の公演を楽しみにしていた人たちというのは、ある程度、シュトラウス好きだったり、オペラ好きだったり、そういう連中が少なからずいたわけである。代替プログラムを組むのであれば、そうした嗜好を考慮してほしかったわけである。ほんの少しでいいからさ。
別に「オール日本人キャストでエレクトラやれ」とか言わないからね。


もう一つの都響の「春の交響曲」は、いかにも大野さんらしい意欲的なプログラムで、なかなか聴けるチャンスがないレア演目。一昨年に演奏される予定だったが、コロナで一度中止になり、捲土重来を図るも、やはり開催実現に至らなかった。

この作品もエレクトラと同様にソロ歌手の出演が必要だが、読響の場合と異なるのは、3人のうち2人(ソプラノとメゾ・ソプラノ)が当初のキャスティングから日本人だった。要するに、テノール歌手さえ日本人で代替調整できれば、上演の実現は可能だったのだ。

ところが、肝心の指揮者の大野さんが渡欧中で、帰国後の隔離待機期間が確保できなかったというのである。

なんだかなぁ・・・。

読響の場合は諦めが付くが、都響は納得いかんなあ。

2月下旬のもう一つの公演には間に合って予定どおり振るんだから、その付近にスケジュールを移せばいいじゃんかよ。会場だって、別の所で全然構わん。

もっと言っちゃえば、私は「春の交響曲」が聴きたかったので、「別に大野さんじゃなくてもええよ」などと言いたくなるが・・・それはさすがにそういう問題じゃないんだろう。
東京フィルがチョン・ミョンフン指揮のマーラー3番公演について、代替指揮者を立てずに中止したのと同じ。この作品の演奏は、「大野さんだからこそ」「代わりはいない」ということだ。
そう簡単にタクトを振れる作品でもなさそうだしな。

上に書いたとおり、この曲はなかなか聴けるチャンスがないレア演目。逃した魚は大きい。果たして3度目の正直はあるのだろうか。