クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

豊嶋泰嗣

先日、西宮でバルトークを聴かせた豊嶋泰嗣さんは、私と同世代。このあたりの年代では、同じヴァイオリニストの漆原啓子さん、指揮者の飯森範親さん、ピアニストの仲道郁代さんなどがいる。漆原さんと豊嶋さんは、その昔、ハレー・ストリング・カルテットという弦楽四重奏団を組んで演奏活動を共にしていたことがある。

正確に言うと、豊嶋さんは私よりも一つ上。その豊嶋さんのことを私が初めて知ったエピソードがあるので、紹介したい。

私が大学時代に管弦楽部に所属してヴァイオリンを弾いていたということは、これまでにも何度もブログ記事で書いているので、御存知の方も多いはず。
その大学管弦楽部では、定期演奏会など自主公演を行うにあたり、人数面と演奏技術面の両方の補完のため、エキストラ(賛助出演)を呼んでいた。主に弦楽器パートで、ヴァイオリンでは桐朋学園大学のヴァイオリン専攻生にお世話になっていた。
定期的に来てもらっていたし、私自身が大学3年の時、2nd Vnのパートリーダーを務めたこともあったので、とある桐朋のエキストラの方と顔馴染みになり、やがて気さくに話せる間柄にもなった。
ちなみに、その御方(女性 Uさんと呼ぶことにする)は、プロの道に進み、現在も某在京オケのヴァイオリン・トゥッティ奏者として活躍中である。


ある時、私はUさんに尋ねた。
「今、桐朋のヴァイオリン専攻の中で、『実力抜群』『将来有望』って人、いるの?」

Uさんは即答した。
「豊嶋くん! 彼はすごいわよ。同期のダントツナンバーワンね。」

「なになに? Uさんよりも上手いわけ?」
「あたしなんか彼の足元にも及ばないわよ。全然違う。悲しいけど才能の差は歴然ね。」
「ふーん、そうなんだ。」

この時、私の頭の中に初めて「トヨシマ」という人物の名前がインプットされた。


翌年の春。
桐朋学園大学4年生の卒業演奏会なるものに行くことになった。Uさんから招待された。
この卒業演奏会が、桐朋においてどういう位置付けの公演なのかは、よく知らない。
みんなが受ける卒業試験なのか、それとも成績優秀の選ばれし者による卒業記念公演なのか。
何日かに分かれていて、私が行った日はヴァイオリンだけ、結構な人数が出演して長時間に渡っていたから、もしかしたら卒業試験的なものかもしれない。
いずれにしても、一般公開でホールのステージに立ち、演奏を披露する。演奏曲目は各自が選んだ協奏曲で、伴奏はオケではなくピアノ。

私が行ったのはあくまでもUさんの応援が目的だったので、出演者全員の演奏を聴くつもりはなく、Uさんの出演時間に合わせて会場入りし、終わったらとっとと引き揚げようとしていた。

当日、会場でプログラムを貰うと、最後の演奏者、いわゆるトリを務める人物に、その名はあった。
「豊嶋泰嗣」

おお! 彼だ! Uさんが「ダントツ!」と話していた豊嶋さんだ!

食指が動き、思わず最後まで残って、彼の演奏を聴いたのであった。

その豊嶋さんが、この公演、つまり卒業演奏で何のコンチェルトを採り上げたのか、どんな演奏だったのかについて、何を隠そうはっきりと覚えていない。(大昔のことなんでね。)
はっきりと覚えていないが・・・多分「バルトークの協奏曲第2番」だったんじゃないか、というのが私のおぼろげな記憶だ。
なぜ肝心なことを覚えていないかというと、当時、私はバルトークのこの曲を知らなかったのである。だから印象に残らなかった。知っていれば、きっと記憶に残ったと思う。

その他の桐朋卒業生ヴァイオリニストたちは、ブラームスとかシベリウスとかブルッフとか、いわゆる王道の協奏曲を選んでいた人が多かった。
そんな中、豊嶋さんの選曲、私が知らないマニアックな協奏曲というのは、何だか一人だけ別格感を漂わせていた。「さすがトリを飾る人物!」と感嘆したことははっきりと覚えている。

もし私の記憶が間違っておらず、その曲がバルトークだったのであれば、それはすなわち先日の「デビュー35周年特別演奏会」のメイン曲と同じ。つまり、彼は学生時からバルトークを極め、勝負曲として35年間一貫して保持してきたということだ。


うーん、何だかこの曖昧な記憶を正確に確認したい衝動に駆られてしまうが・・・。
本人に直撃インタビューできるはずもなく・・・。

誰かこの演奏会について知っている人、いませんか??
いたら教えてちょーだい(笑)。