クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

コンチェルトの功罪

先日のエストニア祝祭管のコンサート。サブメイン・プログラムのシベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴きながら、私はボーッと考えていた。
「コンチェルトって、選べねえよなあ・・」
 
この嘆きの意味、おわかりだろうか。
 
ソリスト目当てでコンサートに行く場合を除き、数あるオーケストラ公演の中からどれに行くか。
その決め手となるポイントは、外来ならオーケストラそのものの魅力になるだろうし、また、外来国内に限らず、メインの曲というのは常に重要だ。
正直、外来オケ公演に、協奏曲はいらないと思う。どうしても伴奏になってしまうので、オーケストラそのもの魅力を楽しみたい場合、その魅力が薄まってしまう。
 
また、メインの曲が重要という意味でも、協奏曲が入るプログラムは微妙だ。
なぜなら、せっかくメインのプログラムに注目して公演のチケットを買っても、大抵のサブメインの協奏曲は「その曲、聴き飽きてるんだよなー」になのだ。悲しいことに。
 
今年3月、東京フィルで滅多に聴けないハチャトゥリアン交響曲第3番プログラムに飛びついたは良かったが、サブメインの曲がチャイコのヴァイオリン協奏曲で、「それ、散々聴いてるんだよなー。はっきり言ってどうでもいいんだよなー。」と思い切りぼやいたばかり。
 
そうやって、これまでにいったい何回「メンコン」「チャイコン」「シベコン」「ブラコン」を聴かされたことだろう。抱き合わせ販売されたようなもどかしさ感、ひしひし。
どれも素晴らしい名曲だ。そのことは絶対に認める。だが、その時必ずしも聴きたいとは思わない。しかし、そうであっても、それを聴かなければならないのだ。
 
ということで、コンチェルトは選べない。
 
例えば、ストラヴィンスキーとかバルトークとかグラズノフとか、そういうのやってくれたら、それはそれで全然違うんだがなあ。
 
歌舞伎の一幕見みたいに、曲ごとにチケットが買えたら、ひょっとして便利ではないか?
そんなことをしたら、興行そのものが崩壊しちゃうのだろうか。