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2021/2/13 フランチェスコ・メーリ リサイタル

2021年2月13日   フランチェスコ・メーリ リサイタル   東京文化会館小ホール
東京文化会館プラチナシリーズ5
フランチェスコ・メーリ(テノール)、浅野菜生子(ピアノ)
ロッシーニドニゼッティベッリーニ、トスティの歌曲
ルイージ・マイオ   アルケミケランジョレスカ
マスネ   歌劇「マノン」より「目を閉じれば」
ヴェルディ   歌劇「ルイーザ・ミラー」より「ああ!自分の目を信じずにいられたら」
ジョルダーノ   歌劇「フェドーラ」より「愛さずにはいられぬこの想い」
プッチーニ   歌劇「トスカ」より「星は光りぬ」


この公演のことは、きっと一生忘れないだろう。

新型コロナウイルスパンデミックは、自分の人生史の中に刺さった棘。
こいつのせいで、社会が変わってしまい、生活が変わってしまい、ライフワークとして追い求めてきた音楽鑑賞にもブレーキがかかってしまった。まずこの事自体が、拭い去れない記憶としてずっと残っていく。
で、将来、いつか、「あの時期は本当に大変だったよな」と振り返ることがあるだろう。
その時、「でも、あの時フランチェスコ・メーリという最高のテノール歌手が、勇気と希望を与えてくれたんだよな」と必ずや思い出すことになるだろう。

故に、私はこの公演のことを一生忘れないのだ。
悪夢として刻まれた東日本大震災、そのちょうど1か月後に行われたZ・メータ指揮NHK交響楽団の「第9」を、決して忘れることが出来ないのと同じように・・・。

まず、彼が来日することが出来たという、そのこと自体が奇跡だった。
来日があと数日遅れていたら、アウトだった。
新国立劇場の「フィガロの結婚」伯爵夫人役で来日予定だった奥様のガンベリーニさんは、その数日遅れに引っ掛かってしまい、来日出来なかったのだ。

およそ1か月半離ればなれになってしまった御夫妻には申し訳ないが、私は、イタリアからメーリを遣わしてくれた神様に、心から感謝の念を捧げたい。


「3大テノール」の時代が終わり、ネクスト・ワンとしてアルゼンチンからホセ・クーラやマルセロ・アルヴァレス、フランスからロベルト・アラーニャ、メキシコからラモン・ヴァルガス、ロランド・ヴィリャゾンらが台頭した。
しかし、その中に純正のイタリア人テノールは含まれていなかった。
(ヴィンツェンツォ・ラ・スコーラ、ジュゼッペ・サッバチーニ、サルバトーレ・リチートラなどがいたが、残念ながら決定打にはならなかった。)

21世紀に入り、ようやく、ついに、満を持して登場した待望のイタリア正統派テノール
それが、フランチェスコ・メーリである。

今、ヴェルディプッチーニなどの上演をカバーするリリコあるいはリリコ・スピントの役において、間違いなく世界最高だ。私はそう断言する。
イタリアらしい開放的な発声、明るく清潔で朗々とした響き、パッションとインテリジェントの両立、繊細な表現力、どれもこれも超が付く一級品である。

会場は満員、完売御礼。でも、なぜか小ホールなんだ。
なんで? そりゃないだろう。お隣りのホール、思い切り空いていたじゃんか。もったいないし、そもそも小ホールは世界最高のテノールに対する礼遇として、相応しくない。
小さな空間で聴けた我々は確かに極上の贅沢を味わうことができたが、もし大ホールだったなら、この感激をもっともっと多くの人たちに届けられたはずだ。少なからず、チケットを買い逃して来場出来なかった人たちがいたのだから。


演奏の話に戻そう。
リサイタルの場合、最初の一曲や二曲は、たいてい喉を慣らすための助走になってしまいがちなのに、メーリはいきなり全開の歌唱で臨んできた。あっという間に観客の心を揺さぶると、そこから一気にメーリ・ワールドに引き込んでしまった。
あとはもう、時間の経過も、プログラムの進行も、何も無い。ただただ至福。それだけ。本当にそれだけ。

既存のプログラムが終わっても、幸せのひとときはまだまだ続く。永遠に続くのか、と思ったくらい。いったい何曲アンコールを歌ったのだろう。10曲くらいか?
観客は酔いしれ、ついに総立ちとなって、手が痛くなるくらい拍手し、ステージに向かって手を振る。
こんなに素晴らしいのに、皆こんなに感激しているのに、誰も「ブラヴォー!」と叫ぶことが出来ないなんて・・・。
そんなの絶対におかしい!

ただ、我々聴衆が心から楽しみ、心から感謝を捧げたことは、間違いなくメーリに伝わったはず。
それが唯一の救いだ。メーリさん、本当にありがとう。
上で、「神様がイタリアから遣わした」と書いたけど、違いました。訂正します。

あなたが、神です。