2020年11月28日 読売日本交響楽団 東京芸術劇場
指揮 井上道義
北村陽(チェロ)
ハイドン チェロ協奏曲第1番
ブルックナー 交響曲第7番
私は「ブルックナーの精神性が・・・」みたいに語り、クナやヴァント、朝比奈隆といった特定の指揮者を崇拝するような、いわゆるブルヲタではないと自分では思っているが、何だかんだ言って、好きな作曲家であることは間違いない。
年に数回は間違いなく聴いていたブルックナー。今年はパンデミックのせいで大編成作品の演奏が潰れてしまったからなのか、たまたまそういう公演がなかったからなのか、そこらへんは分からないが、実に約1年ぶりであった。つい先日も東京交響楽団のブル6が曲目変更となってしまったこともあり、この読響公演は結構楽しみにしていたのである。
「久しぶり」という感興がそう思わせたのかもしれないが、井上ミッキーのブルックナー、実に素晴らしくて、グッと胸に迫るものがあった。
面白いというか、意外というか、井上という指揮者のイメージから、動的で熱いブルックナーを予想していたのだが、なんと、思索的な精神性を湛えた語り口。(しまった、「精神性」って言ってしまった!)
もちろん井上さんらしい力強いタクトは健在なのだが、充満するエネルギーを外に放り出すのではなく、懐の中にしっかり留めているため、響きが安定し、余裕が感じられるのだ。
しかも、自然であり、スコアを脚色することなくありのままの表現が貫かれている。
これらはやっぱり井上さんの従来のイメージとは異なるものである。
このように褒め称えると、井上さんの「真摯に作品に向き合った結果で、当然だよ」みたいなしてやったりのコメントが聞こえてきそうだが、今回は素直に信じることとしよう。
前半のハイドンのコンチェルト。
昔、某有名なチェリストの退屈な演奏のせいで、「つまんねえ曲」という印象をずっと抱えていたのだが、北村くんの爽やかな演奏のおかげで「あれ? なんだかいい曲じゃん?」と思い直すことが出来た。
ということで、一曲目も二曲目も、既存のイメージが覆った、新しい発見のコンサート。めでたしめでたし。