2020年1月21日 大阪フィルハーモニー交響楽団 サントリーホール
指揮 尾高忠明
スティーヴン・イッサーリス(チェロ)
エルガー チェロ協奏曲
ブルックナー 交響曲第3番 ワーグナー
夕方、仕事上の急なトラブルが発生し、その対応に追われたため、コンサートに遅刻した。前半のチェロ協奏曲は聴くことが出来なかった。
トラブルの原因は部下のミス。で、私は哀しい中間管理職。こういう時は、上司として対処しなければならない。内心「てっめー、オレのコンサートの邪魔すんじゃねーよ」と思いつつ、表面上はにこやかに装い、「大丈夫。任せておけって」と、大きいところを見せる。
でも、なぜかそれほど頭に来なかったのは、要するに、つまり・・所詮はその程度の演目だったということか・・。
これがもしベルリン・フィルとかウィーン・フィルとかのプログラムだったら、心の中で「ウギャー!!」と叫び、のたうち回ったことだろう。
(いやいや、大阪フィルさん、イッサーリスさん、冗談ですってば)
失礼なことを書いてしまったが、結局私が聴きたかったのはブルックナーだったというわけだ。
大阪フィルと言えば、もうかれこれ20年近く経つというのに、故:朝比奈隆とのコンビによるブルックナー名演の数々が語り継がれ、ファンの記憶から消えることはない。
「果たして今でも大阪フィルにはブルックナー演奏の真髄が染み付いているのだろうか」
私の興味はその一点。
だから、エルガーを聴き逃しても、何の不満もないわけ(笑)。
とは言え、指揮者は朝比奈さんではなく、尾高さんである。尾高さんは尾高さんであって、朝比奈さんじゃない。(当たり前)
尾高さんは、今回指揮をするにあたって、どういう心境だったのだろう。朝比奈さんの功績は、当然頭にあったはずだ。
彼は、大阪フィルに息づいている伝統のブルックナーを復刻させようとしているのか。
それとも、過去のノスタルジーを絶ち切り、「尾高の新たなブルックナー」を確立させようとしているのか。
演奏を聴いて、思った。
まず、大阪フィルの奏者たちに「過去の栄光にすがろう」という意識はないが、それでも彼らのブルックナーには、静かなる気概が感じられること。
次に、尾高さんは、朝比奈さんを特段意識せず、さりとて自らのブルックナーを肩肘張って誇示しようともせず、純粋かつ真剣にスコアに向き合いながら、あくまでも自然体でタクトを振っていたこと。
「滲み出るプライドと、穏やかな謙虚さの、柔らかい調和」
これが、私が感じ取った尾高&大阪フィルのブルックナーだった。
ふむふむ、このコンビのブルックナー、なかなかいいじゃん。
仕事のトラブルも、遅刻したことも、そんなことすっかり忘れ去り、ちょっといい気持ちになって、帰路に着いた。