クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

アンネ・ゾフィー・ムター

アンネ・ゾフィー・ムターが来日中だ。私も明日、リサイタルに行く予定である。
いいタイミングなので、彼女の思い出について書いてみたい。

私はムターと同世代だ。自分の人生におけるクラシック音楽の愛好歴と、彼女の世界的活躍歴は、ほぼ重なる。
だから、ムターは私にとって、現役最高でありながら、常にずっと身近なヴァイオリニストであり続けている。

実を言うと、デビュー時からいきなり目を付けたわけではない。
天才少女の才能を見抜き、大抜擢したのがカラヤンだったことは、当然のごとく耳に入ってきた。カラヤンが指揮をしたデビュー盤のモーツァルトの協奏曲第3番第5番、その次のベートーヴェンの協奏曲のレコードは、発売と同時に日本でも大きく話題になった。

だが、私はそこに飛びつかなかった。なんだか商業的な胡散臭さを感じ取り、警戒したのだ。

人というのは、いつの時代も、新たな若き才能の出現を歓迎する。そして、そこに必ず、群がって商魂を働かせる人がいる。
単なる話題先行なんじゃないか?

早まって手を出す必要はない。早まらなくても、既に名声を確立させた実力派ヴァイオリニストがたくさんいるではないか。
例えば、アイザック・スターンとか、パールマンとか、メニューインとか。
自分のわずかなお小遣いで買うべきレコードは、彼らの演奏だ。
そもそもベートーヴェンの協奏曲なんて、10代の女の子が弾く曲じゃないだろう。

高校生にしては、我ながらいっちょまえな持論だったと思う。
聴いて確かめもせずに物申すだけの生意気な小僧だったというべきか・・・。

その演奏に衝撃を受けたのは、その次の録音、メンデルスゾーンブルッフのコンチェルトだった。
大学1年生の時。友人宅で聴かせてもらった。その友人は、ムターを絶賛していた。
私も驚いた。
「天才というのは本当だったのか・・・。」

その翌年のこと。
1984年、ムターは日本にやってきた。初来日は既に果たしていて、確か3度目くらいだったと思うが、生で聴いたのはこの時が初めてだった。
4月29日、N響特別演奏会でブルッフの協奏曲。5月16日、同じくN響定期演奏会プロコフィエフの協奏曲第1番。指揮はいずれもサヴァリッシュだった。
プロコの方はあまり感心しなかった(と記憶している)が、ブルッフは最高だった。
この時初めて見たムターは、早熟の天才少女というよりは、ちょっとプクプクしたおてんば娘という感じだった。

次にムターを聴いたのは、4年後の1988年。
私は社会人2年生になっていた。その夏、稼いだお金で人生初のヨーロッパ遠征に出かけた。(以後ずっと続いていく私の海外詣では、ここから始まった。)

訪れたのは、ザルツブルク。(スイスアルプスとか、ルツェルンとか、ブレゲンツとか、色々巡ったうちの一つが、ザルツだったわけ。夏に行くなら、ここはやっぱ外せないでしょ。)

音楽祭目当てでありながら、滞在期間中に何をやっているか事前に調べず・・(ていうか、その当時はプログラムを事前に調べる手段は、個人としては限られていたわけで・・)、でも「当然何かやっているだろう」と、勇んで飛び込んだチケットオフィス。
購入したのが、オーストリア放送交響楽団(現ウィーン放送交響楽団)のコンサートだった。
現代作曲家ルトスワフスキの指揮による自作自演コンサート。
新作「チェーンⅡ、チェーンⅢ」という、ヴァイオリンとオーケストラのための作品の演奏のために、ルトスワフスキソリストとして選び招いた奏者が、ムターだった。

この時の座席は、なんと、最前列だった。(たまたま買えたチケットの席の場所がそこだった。)
ステージを見上げた自分の目の前に、ムターが立っていた。

実は、この時の演奏そのものについては、記憶から薄れかけている。もう随分と昔のことだ。
それよりも何よりもはっきりと覚えていること。
それは、25歳になったムターの美貌であった。あまりの美しさに思わず息を呑み、凝り固まるくらいに釘付けになった。
わずか4年という歳月は、プクプクしたおてんば娘から、女優のように麗しい香りが沸き立つレディーに変貌させたのだ。
「うっわーーーー。すっげー美人・・・」
私は見惚れてしまった。

最初に、「ムターは私にとって、常に身近なヴァイオリニストであり続けている」と書いた。
お恥ずかしい話だが、それはすなわち「ザルツブルクで、その眩い美しさに引き寄せられて以来、ずっと」ということなのだ。

ピアノ界の女王アルゲリッチは、もうすっかりお婆ちゃんになった今も、そのお姿といい演奏といい、艶のある美しさが備わったまま一向に失われていない。
そんなアルゲリッチと同様、ムターも、年齢なんか関係なく、これからもずっと美しさと気品を兼ね備えたヴァイオリン界の女王に居続けることであろう。