2020年1月17日 紀尾井ホール室内管弦楽団アンサンブル・コンサート 紀尾井ホール
〈ウィーン・フィルのメンバーを迎えて〉
ミヒャエラ・ゼーリンガー(メゾ・ソプラノ)、アダム・フランスン(テノール)
ヨハン・シュトラウス 入り江のワルツ、酒・女・歌、皇帝円舞曲
マーラー 交響曲「大地の歌」(室内オーケストラ版)
紀尾井ホール室内管首席指揮者であるライナー・ホーネックが第一ヴァイオリン、更にウィーン・フィルからカール・ハインツ・シュッツ(フルート)、セバスティアン・ブル(チェロ)、ソフィー・デルヴォー(ファゴット)を迎え、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス、オーボエ、クラリネット、ホルン、ピアノなどの各1名の日本人奏者によって構成された室内楽コンサート。
興味津々のコンサートだった。歌曲が中心となっている作品とは言っても、複雑なスコアで鳴らすマーラーの交響曲である。
指揮者を置かずにどう演奏するのか。室内楽によってどのような響きが聞こえてくるのか。
率直かつ素朴な関心だ。
結果は、期待を遥かに上回る、絶品の演奏だった。
もちろん、その絶品というのは、耳馴染んでいる大編成版とは異なる音響の新鮮さから来ている部分もあるだろう。
だが、何よりも、演奏の水準が極めて高く、これによる充実感、満足感が大きかった。
ウィーン・フィルの連中は当然のことながら、名前の記載は省略してしまったが日本人の各奏者も優れた演奏能力を発揮した。結果として、マーラー作品の特性の一つである緻密性が鮮明となり、作品そのもの美質がより一層向上した。
実質的なリーダーだったホーネックは、もう本当に、さすがとしか言いようがない。
全体の演奏を牽引し、まとめ上げる統率力もさることながら、純粋にヴァイオリンの演奏が美しい。惚れ惚れするくらいである。ウィーン・フィルのコンサートマスターは伊達じゃないし、彼なくしてこのコンサートは実現不可能だったとさえ言えるだろう。
(余談だが、今月はほぼ同時期に、二人のウィーン・フィルのコンサートマスターが来日していたことになるんだね。)
二人のソロ歌手については、少し面白かった。
テノールのフランスンが、大編成版の時と同じように強く硬質な歌声を張り上げたのに対し、メゾのゼーリンガーは、対象的に、抑揚やヴィブラートを抑え気味にして、室内楽アンサンブルに接近したアプローチを取ったのだ。
もしかしたら、そこに指揮者がいたら、多少の調整が図られたかもしれない。
だが、ホーネックは、そうした演奏者の特性の違いが浮き彫りになることも、少人数アンサンブルの妙味と判断したのではないか。
それが証拠に、違和感はゼロだった。
この「大地の歌」室内楽版は、シェーンベルクが編曲に着手したが完成せず、ドイツの作曲家(兼指揮者、音楽学者、雑誌編集者)ライナー・リーンが、私的演奏協会で演奏するために補完したヴァージョンとのこと。
世界的に日の目を見ているとはとても言い難く、演奏されることはほとんど稀。たぶん、もう二度と聴くことが出来ないだろう。
ちょっと、いや、かなり惜しいような気がする。