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2020/1/11 フォルクハルト・シュトイデ リサイタル

2020年1月11日   フォルクハルト・シュトイデ ヴァイオリン・リサイタル   東京文化会館小ホール
フォルクハルト・シュトイデ(ヴァイオリン)、三輪郁(ピアノ)
ベートーヴェン  ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、ロマンス第1番
グリーク  ヴァイオリン・ソナタ第3番
シューマン  ヴァイオリン・ソナタ第2番
サン・サーンス  ハバネラ


ご存知、泣く子も黙る、天下のウィーン・フィルコンサートマスター
昨年12月、ウィーン・フィル定期公演(ムーティ指揮)を鑑賞した時のコン・マスも彼だったし、ニューイヤー・コンサート(ネルソンス指揮)もそうだった。(ニューイヤー観てないので、あくまでも情報を確認しただけだが)
ウィーン・フィルのコン・マスと言えば、ベテランのライナー・ホーネックが首席扱いだが、シュトイデは今、実力と経験共に、最も脂が乗った隆盛期にあるリーダーなのではなかろうか。
そんな彼の充実ぶりを、今回是非聴きたいと思った。

一方で、そこに落とし穴が潜む可能性を私は知っている。
ウィーン・フィルコンサートマスター」というのは、絶対的なネームバリューであり、箔なわけだが、だからといって、ソロ・ヴァイオリニストとして世界的に輝かしい存在かというと、案外そうとは限らない、意外とそうでもない、というまことしやかな話・・。
実際私は過去に、こうした絶大なネームバリューによって箔が付いていたG・H氏、R・K氏のソロを聴いて、その黄金の箔が呆気なく剥がれ落ちた瞬間を目の当たりにしている。

もしかしたら、名門オケのコンサートマスターと素晴らしいソロ・ヴァイオリニストは、必ずしもイコールではない。
とは言え、それぞれの活動領域も求められる役目も違うのだから、イコールに仕立てる必要がない、そう割り切って見ることだってできる。
別にいいじゃないか、世界最高のオーケストラを率いるリーダー、というだけでも。上に書いたとおり、それだけで絶大なネームバリューを手にするわけだから。

はたしてシュトイデはどうであろうか。
以下、リサイタルを聴いて感じたこと。
いかにもコン・マスらしいストレートでシンプルな作品への忠実性と、ソリストとして申し分のないスケールの大きさの両方を兼ね備えていることが分かる。一見冷静沈着のようでありながら、音には迫真の力が込められ、パッションも感じられる。
また、奏法で言うと、これぞお手本と言っていいくらい、ボウイングが正確かつ流麗。身体や手の動きも、パフォーマンス的な誇張さとは無縁だが、抑揚はしっかりと整えている。

シュトイデは、本質的に、コン・マス・タイプなのか、ソリスト・タイプなのか。

活動に占める割合と軸ということでは、コン・マスということになろう。
だが、演奏から聞こえる音楽の質ということでは、どっちか、ではなく、その両方だと思った。
十分に立派なヴァイオリニストとだけ言えばいい。それ以上でもそれ以下でもなし。
国立歌劇場のピット内でも、ウィーン・フィルのステージでも、ソロでも、それぞれにおいて自分の持てる実力を発揮し、披露する。
シュトイデはそういう演奏家なのだろうと、私は思った。