2017年7月22日 バイエルン州立歌劇場
指揮 キリル・ペトレンコ
演出 ハリー・クップファー
アナトーリ・コチェルガ(ボリス)、セルゲイ・スコロクホドフ(ジノーヴィ)、アニヤ・カンペ(カテリーナ)、ミシャ・ディディク(セルゲイ)、キャロル・ウィルソン(アクシーニャ)、アンナ・ラプコフスカヤ(ソニェートカ)、ケヴィン・コナーズ(ぼろを着た農民) 他
7,8年くらい前だろうか(定かではない)、ウィーン国立歌劇場で新演出「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が制作された。この時、プレミエ上演の指揮を当初任されたのがペトレンコだった。
この時点でペトレンコの名は既に欧州で轟いており、オペルン・ヴェルト誌で最優秀オペラ指揮者に選ばれたこともあった。しかも、カテリーナ役は私の大好きなA・デノケときた。
これには悶絶した。行きてぇー。観てぇー。
でも行ける時期ではなく、地団駄踏んだ。
その後、ペトレンコは降板してしまい、メッツマッハ―が代役を引き受けたことを雑誌の記事で知った。もし行っていたら、ペトレンコ降板に少なからずの落胆があっただろう。良かったのか悪かったのか、少々複雑な気分だった。(この時の演奏は録音され、CDになっている。)
そのペトレンコ指揮のマクベス夫人を観るチャンスが到来した。
次期ベルリン・フィル音楽監督に指名され、日本でも俄然知名度が上がったが、これまでの彼のキャリアからすれば注目すべきはやはりコンサートよりオペラだろう。この秋の来日公演「タンホイザー」はもちろん楽しみだが、より激烈でアバンギャルドなショスタコーヴィチの音楽は、ロシア人の血が騒ぎ、鋭い感性にぴったりハマるに違いない。
そういうわけで、この日の期待も当然ペトレンコの音楽、そしてタクトで決まり。舞台を眺めつつ、視線は常にピットに定め、彼の一挙手一投足を食い入るように見つめる。
そのペトレンコの指揮であるが、意外なほど基本に忠実だ。歌手に対して出だしのキュー(合図)を非常に丁寧に出すのが特色。まるでたくさんの情報を一手に集めながらテキパキと進行を指図していく敏腕TVディレクターのようだ。
ただし、音楽的に「ここだ!」という山場を迎える時の豹変ぶりがすごく、身振りは途端に大きくなる。あたかもライオンが牙を剥くかのような獰猛さ。やはりこの指揮者、只者ではない。
バイエルン州立歌劇場管の音の密度、凝縮度が著しく高いが、指揮者の引っ張る力、求心力がものすごくあるのだろう。
終演後のカーテンコールでも、一番の喝采は指揮者に向けられた。やはりこの劇場では、ペトレンコこそが唯一絶対のカリスマであることを改めて目の当たりにした。
歌手では、カテリーナ役のカンペが熱演。言語的に難しいロシア・オペラは相当の挑戦だったと思うが、見事にこなした。近年ワーグナーの諸役が多いが、このカテリーナは当たり役のように思えた。
セルゲイのディディクは、ウィーン国立歌劇場のプレミエでもこの役を担っていた。出来としては良かったものの、強烈な印象ではない。
ボリスのコチェルガは今も昔もこの役の第一人者だが、ちょっと老けた感じだった。
演出のクップファーは、一時、すっかり過去の人として消えたかと思っていたら、どっこい存在感を示している。2014年に新国立劇場のパルジファルで新境地を明示したし、同年ザルツブルク音楽祭の「ばらの騎士」も名舞台と評判になった。クップファーはまだまだ現役だ。
今回の舞台も、ザルツの「ばら」と同じように背景を特大写真パネルで覆い、巨大な空間と見紛うような錯覚手法を駆使して、それが見事な効果を上げていた。
全体として、これ以上のレベルはありえないと思うくらいの極上の完成度。この一演目だけを観に渡欧したとしても、十分なお釣りが来る。なんだか物凄いものを見た、体験してしまった、というゾクゾク感に浸った一夜だった。
いやはや、恐るべしバイエルン、恐るべしペトレンコ。
とまあ、こんなにも衝撃的な公演にありつけたというのに・・・。
興奮冷めやらぬまま観劇後に入ったレストランで、適当に注文したドイツ料理がまったく口に合わず、大失敗。一気に気分が萎んでしまったのはまったくの大誤算だった。くそー。