クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

飯森範親

私と同世代の飯森さん。私は彼の指揮の下で演奏をしたことがある。
 
随分と昔の話。
大学時代、管弦楽部に入ってヴァイオリンを演奏していたことは、これまでに何度もこのブログで紹介してきた。アマチュアオケの場合、どこの団体も弦楽器奏者を十分に集めるのが苦労であり悩みのタネで、演奏会を開催する時は、最終的にエキストラを使って体裁を整える。
 
私は大学に入ってからヴァイオリンを始めた半人前プレーヤーだったが、そこそこ弾けるようになると、あちこちのアマ・オケの演奏会にエキストラとして出演するようになった。エキストラにオーディションはないので、熟練者を装って参加した。なんせ、上手に弾いているような格好だけは得意だったもんでね。へっへ。
 
そうやって飛び入り参加した、とあるアマチュア・オーケストラを振っていたのが、飯森さんだった。当時、彼は桐朋学園大学指揮科に在籍する音大生。要するに指揮者のタマゴであった。
一流のプロ指揮者に振ってもらうのはおこがましいアマ・オケにとって、指揮科の音大生を招くというのは好都合だっただろう。出演料だって安いだろうし。
また、音大生指揮者にとっても、アマチュアとはいえ生のオーケストラを振るのは貴重な機会だっただろう。学生なんだから。
双方の利害は一致したはずである。
 
実は私が所属していた大学オーケストラ部の先輩に、飯森さんの高校時代の同級生で友人という人がいた。その人から「今度、○○オケのエキストラに行くんだって? なら、飯森クンによろしく言っておいてくれ。」と頼まれた。
で、実際にそのオケの練習に参加し、「皆さん、○○大学管弦楽団から今回エキストラとして参加してくれることになったサンジさん(仮名)です。」と私が紹介されると、なんと飯森さんが私に近づいて声をかけてきた。「俺の友人で○○クンというのがいるんだけど、キミのオケにいるよね?元気かな?よろしく言っておいて。」
飯森さんとダイレクトに会話した貴重な機会だった。
 
さて、その飯森さんの指揮(指導)による練習である。
びっくりするくらい、ぶっきらぼうなのであった。
右手のタクトはほとんどメトロノームの拍子取り。左手はほとんど動かさない。細々と指示を出すこともない。時々出す指示は、ごく基本的なことばかり。
 
「なんだこいつは!?」と思った。「やる気があるのか、てめー」と思った。
マチュアの我々を舐めているのだろうか。アマチュアだからこの程度でいいやと思っているのだろうか。オマエだって学生の分際だろうが。
 
そんな、チンタラなタクトは本番が近づいてきても、全然変わらなかった。
「この指揮者、本当にこんな指揮で本番を迎えるのだろうか。信じられん。」
 
ゲネプロを終え、本番前、最後の練習が終了すると、指揮者のタマゴはオケのみんなに向かってこう話した。
「皆さん、お疲れ様でした。ここまで練習してきたことで、もう皆さんには音楽が十分染み付いたはずです。もう、楽譜にしがみつく必要はありません。「上手く演奏できるかなあ」などと心配する必要もありません。本番では私が皆さんを解放しますので、思い切り発散してください。」
 
なかなかカッコイイ発言ではある。
だが、この時私は「何を言っているのか、この指揮者は」と思った。
そんなチンタラタクトで発散できるかアホ、と思った。
 
本番。彼は豹変した。
当時からサラサラだったあの長髪を振り乱し、一心不乱にタクトを振った。ダイナミックで、切れ味があって、燃えるような指揮だった。
 
私は、ただただ唖然だった。「おいおい、そう来るか、マジか、おいおい」と思った。
でも、その指揮ぶりに、オケはどんどんと引き込まれていった。音楽は見事に昇華した。彼は、本当に皆を解放させたのだ。
見事!と思ったが、「だったら最初からそうしろよ」とも思った(笑)。
 
まさかあの時の彼が、その後、国際コンクールに入賞し、海外のオケにも客演し、日本のプロオケの常任指揮者を歴任するまでになるとは夢にも思わなかった。
 
さて、最後に正直に白状しよう。
飯森さんのタクトの下で何の曲を演奏したのか、実を言うとうろ覚えなのだ。
随分と昔だし、上に書いたようにまさか彼がそんなに出世するとは思わなかったし、かなりあちこちにエキストラ出演して色々な曲を演奏したし・・・。
何となくモーツァルトのジュピターをやったような覚えがある。でも確信なし。
覚えていたら教えてくれ、飯森さん(笑)。