火花散り、情熱的で、鬼気迫っていて、まるで悪魔に取り憑かれたかのようなこれらの演奏は、もう40年近く経っているのに今も色褪せなることなく、不滅の名盤のままだ。
そんな伝説の天才ヴァイオリニストだったチョン・キョンファも、まもなく70歳を迎えようとする大ベテランになった。
年月が経っても、演奏が開始された瞬間に会場の雰囲気が一変する集中力は変わらない。峻厳さに満ち、透徹さを湛え、空気を引き裂くような音色も変わらない。聴衆は時間が経つのも忘れ、心臓の鼓動が高鳴るのを感じながら、どんどんと引き込まれていく。
彼女の演奏中は何も考えられず、目ではステージ上のその姿を見つめているはずなのに何も見えず、ものすごい圧力で迫ってくる弦の振動を肌で感じ取るのみ。
チョン・キョンファを聴くということは、そういうことだ。
それを体験するために会場に赴く。実際にそれを体験したら、「いや、すごかった」とため息をついて帰路につく。
ただし、今回は申し訳ないが、あえて余計な一言を付け加えたい。
みんなそれを口に出すべきじゃないと思っているだろうし、言ったところで「そんなこと、どうでもいいではないか」と言下に付されるだろうけど。
うんそう、確かにそういうことはどうでもいいのかもしれない。ライブというのは、そういうのもすべて含んでいる。
でも、近年のチョン・キョンファは、感性の赴くまま、勢いで突っ切るような演奏家ではなくなっている。一音一音の彫琢に執念を燃やす音楽の求道者だ。極度の集中力を自らにだけでなく、聴衆にも求める厳しい演奏家でもある。(会場で、演奏の邪魔になるような咳払いや雑音を立てる人を、この人は鬼のように睨みつける。)
ならば、すべての音を完璧に取り扱い、すべての音に意味があることを詳らかにしてほしい。特にバッハでは。それは、チョン・キョンファにとって、決して高望みなことだとは思わない。