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2025/9/15 東京二期会 さまよえるオランダ人

2025年9月15日   東京二期会   東京文化会館
ワーグナー  さまよえるオランダ人
指揮   上岡敏之
演出   深作健太
管弦楽  読売日本交響楽団
斉木健詞(オランダ人)、志村文彦(ダーラント)、鈴木麻里子(ゼンタ)、樋口達哉(エリック)、河合ひとみ(マリー)   他

 

私のような古株からすると、「二期会」は「二期会」だった。
いつの頃からか、いつの間にか、「東京二期会」に変わっていた。でも、ずっと私はそれまでと同様に「二期会」と言い続けてきた。
名称変更は様々な経緯や紆余曲折があってのことだと思うが、団体が正式名称として名乗っていることでもあり、今回からきちんと「東京二期会」と呼ばせてもらうことにした。ようやく、やっと、ということですみません。


さて、その東京二期会による「さまよえるオランダ人」。ドイツで活躍する上岡敏之氏が日本で初めてワーグナーのオペラを振るということや、4度目のタッグとなる深作健太氏による新演出プレミエなどで、注目を集めた(?)公演だ。

深作さんのこれまでの演出、「ダナエの愛」「ローエングリン」「フィデリオ」を観て、とても感心していた。作品の中から何を描くか、何が見えるのか、何にスポットを当てるか、といったコンセプトを徹底的に研究し、舞台で表現していたからである。この作業は演出家にとって一番重要な仕事と言っていい。当たり前のようで、実は難しい作業。そこに正々堂々と立ち向かっていく、その姿勢が実に潔い。故に、私は氏を高く評価しているのである。

今回の「オランダ人」でも、その探究の形跡が十分に伺えた。
上演前の段階から演出家本人がコンセプトについて発信し、説明していたが、「オランダ人は何者で、どこから来たのか」「愛による救済とは何か」という問いの出発点から、西欧文明史の中の「極北」志向に辿り着き、そこからフリードリヒ作の絵画「氷海」に辿り着き、メアリー・シェリー作の物語「フランケンシュタイン」に辿り着く。その思考と探索の過程だけでも、「すっげーな・・・」と感心してしまう。

もう一つ、演出家がチャレンジしたテーマがあった。
深作さん自身が大きなインパクトを受けたという、40年前に制作されたH・クップファー演出のバイロイト上演「オランダ人」。バイロイト音楽祭史に刻まれた名演出をいかに乗り越え、この作品の演出に自らの踏ん切りを付けられるかという重大な課題だ。

序曲が終わり、幕が開くと、そこに絵画を抱えた一人の女性がいる。ゼンタである。ワグネリアンなら、すぐに「ゼンタの妄想の物語」と捉えたクップファー演出版を想起する。
だが、決して模倣ではない。クップファーの舞台は出発点であり、足がかり。ゼンタが抱えている絵は「伝説のオランダ人の肖像画」ではなく、フリードリヒの「氷海」だ。また、もしかしたら、ゼンタ自身はフランケンシュタインの作者メアリー・シェリーかもしれない。
そうしたオリジナルコンセプトを絡ませながら、あくまでも「救済とは?」という最終決着を目指していく。
結論は、愛の成就というハッピーエンド。クップファーの呪縛(※クップファー演出版は、ゼンタが身投げをし、周囲は「触らぬ神に祟りなし」の態度を示すという悲劇的な結末)を乗り越えつつ、単なる一人の男性の救済ではなく、現代社会が抱える排他性、孤独、分断といった問題に対する希望的な未来の方向性を示したのであった。

深作さんは指揮者の上岡さんと何度も打ち合わせをし、上岡さんの意見を大いに参考にしながら、指揮者が採用した作品の校訂版も考慮して、結末の最終回答に至ったそうだ。

いやーすごい。これぞまさしく演出家の仕事である。


次に、上岡敏之指揮による音楽面について。
テンポ、強弱、アゴーギクなどの音処理など、随所に上岡さんらしいひねりが盛り込まれている。
人によっては、そうした上岡節を“あざとい”と感じる人もいるかもしれないが、本人は決してわざとらしくやっているわけでも、奇をてらっているわけでもないだろう。
本人が意識しているかどうか知らないが、上岡さんにはスコアを解析する上での独自の手法・視点が身に備わっている。複雑かつ構造的な事象を俯瞰し、他の音楽家、他の指揮者には見えない部分を発見する。たまたまのひらめき、思い付きではないため、そこに本人なりの明確な必然性がある。「なぜそのように?」と問うたら、「こうだからだ」という確信的な答えがきっと返ってくる。

もちろん、それをすんなりと受け入れるのか、良とするのかは、聴衆の自由だ。好き嫌いはあっていい。
でも、深作さんの演出についてもそうだけど、「そういう解釈もありだ」と、私は大いに認めたいと思う。


歌手について。
どこの部分で満足の線を引くかにもよる。欧米の一流劇場との比較はまったくの野暮だが、相応の技術レベルは最低限示してほしい。

厳しいことを言ってしまうかもしれないが、ソリストのレベルはまちまちだ。残念なことではあるが、「悪いけど、ちょっとそれじゃあヨーロッパのローカル劇場でも通用しないよ」みたいな人が混ざっている。誰とは言わないけど。
(もちろん、「良かったんじゃない?」という人もいる。)

二期会公演というのは、いわば同好会に所属している歌手の発表会。ソリストを招いて出演契約をするということを、決して行わない。
そういう方針なのだから、外から何を言っても仕方がないが、少なくとも「劇場」を名乗る以上(『東京二期会オペラ劇場』と名乗っている)、劇場の水準を確保するため、所属していない人を含めて実力のある歌手を探す努力は、私は必要だと思うし、義務だと思う。(別に「外国人を呼べ」と言っているわけではない。)
劇場の役目って、そういうことなんじゃないか。プロなんだし。