2025年9月3日 東京都交響楽団 東京文化会館
指揮 大野和士
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第15番
ショスタコーヴィチ没後50年記念と銘打ったコンサート。人気のある作品ではなく、こういう渋くてマニアックなプログラムにするあたりが、さすがは大野和士監督。こういうのをやられちゃうと、タコファンの私としてはもう行かずにはいられないのであった。
特に、ヴァイオリン協奏曲第2番。
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲といったら、普通は1番。コンサートで演奏される頻度は比較にならない。
で、2番ときた。何を隠そう私自身、生演奏で初めて聴く。これは貴重な機会だ。
イブラギモヴァの演奏が充実している。非常にハイレベル。
彼女の中にこの難曲の演奏に必要なものがすべて備わっていて、必要な音、欲しい音のために最適な奏法を瞬時に導き出していることがよく分かる。勢いや激しさのあるパッセージの中にも、冷静沈着な演奏判断を下していて、単に上手いというだけでなく、より緻密で戦略的な演奏に結びつけていて、思わず唸った。
ふと思ったのは、イブラギモヴァにとって、ショスタコーヴィチという作曲家はどういう存在なのだろう、ということ。
彼女はロシア出身であり、そういう意味では祖国の作曲家だ。
にも関わらず、演奏がものすごく客観的、分析的で、シンパシーがあまり感じられない。
若くしてイギリスに移住したからであろうが、いずれにしても、仮にチャイコフスキーを演奏するにしても、あるいはストラヴィンスキーにしてもプロコフィエフにしても、おそらく「イブラギモヴァの演奏」に落とし込んでしまうに違いない。イブラギモヴァは、きっと「自分というもの」を固持している、ぶれないヴァイオリニストだ。
メインの15番。
この作品も演奏頻度は決して高いとは言えない。私自身がコンサートで聴くのは9年ぶり。
大野さんは、作品の構造を解析し、特徴を詳らかにするかのようなコンダクト。これが、いかにも大野さんらしいアプローチ。
でもなあ・・・なんか結局そこで止まっちゃった感じがしないでもない。
いやまあ、あくまでも私の個人的な印象だけど。
聴くだけでも面白い曲だし、分かりやすい演奏で紹介してくれただけでも十分といえば十分なんだけどさ。でも、もうちょっと「その先」に連れて行ってほしかったな。
もっとも、ショスタコーヴィチの交響曲はこの曲で終わり。「いやいや、その先はありませんから」とか言われちゃったら、ぐうの音もでない。
え? まさか、もしかして、そこまでお見通しで狙った演奏だった??