2024年5月25日 パリ・オペラ座 バスティーユ劇場
R・シュトラウス サロメ
指揮 マーク・ウィグルスワース
演出 リディア・シュタイアー
リーセ・ダヴィッドセン(サロメ)、ヨハン・ロイター(ヨカナーン)、ゲアハルト・ジーゲル(ヘロデ)、エカテリーナ・グバノヴァ(ヘロディアス)、パヴォル・ブレスリク(ナラボート) 他
リーセ・ダヴィッドセン。
来日したことがなく、日本のクラシックファンにその名がどれだけ知れ渡っているのかは分からないが、間違いなく世界トップ級のソプラノ歌手。
もしかしたら、もう既に「級」の文字は不要かもしれない。コアなオペラファンであれば、彼女を知らぬ者はいない。ノルウェー出身、まだ30代だが、世界の一流歌劇場を席巻している。
私が行き先の一つとしてパリに狙いを定め、やってきたそのお目当てが、このダヴィッドセンのサロメだった。
スケールの大きい歌唱と、繊細かつ巧みなコントロール。その持ち味は、本公演でも存分に発揮された。一言、「圧巻」であった。
北欧出身ということで、往年の名歌手「ビルギット・ニルソンの再来」と評されることもあるようだが、どちらかと言うとニルソンは声が鋭くて強靭。ワーグナー、シュトラウスのエレクトラ、それからトゥーランドット等において無敵の強みがある。
これに対しダヴィッドセンの歌声は、同じくワーグナーやシュトラウスの諸役をレパートリーにしつつ、包み込むような柔らかさと美しさも兼ね備え、イタリア物も含めた幅広いレパートリーに対応出来る。身体が大きいので、オペラ上演において舞台映えするのも、彼女のもう一つの武器だろう。
私はこれまでに20回くらいサロメを鑑賞し、そのロールを歌う歌手を聴いてきた。比較や順位付けは無意味かもしれないが、鑑賞前の期待値と鑑賞後の満足度という両軸で、ダヴィッドセンは自分の中で屈指と言えるものだった。
本公演では、それ以外にも名歌手が揃った。J・ロイター、E・グバノヴァ、G・ジーゲル・・・ちょい役のナラボートにブレスリクを起用させることが出来るパリ・オペラ座の貫禄よ。
彼ら全員素晴らしかったし、存在感を示していた。
演出について。
かなりヤバい演出だということは、事前に情報を得ていた。
公式HPには、「若い人にとって要注意の過激シーンあり」というメッセージ有り。
「2022年のプレミエを観た」というパリ在住日本人のお方のブログも拝見したのだが、まあけちょんけちょんの酷評(笑)。その人が観ている上演の途中で、隣の人が退席してしまったというエピソード付き。
ただ、実際に観てみると、まあ確かに過激といえば過激かもしれないが、この程度なら自分的に許容できるし、この程度ならドイツのレジーテアターでそこら辺に転がっている。
ヤバいとされる点は概ね次のとおり。
・ヘロデの酒池肉林のサロンに、生贄として若者が次々と送り込まれる。宴では、サディスティックに彼らの若い肉体を貪り、切り刻み、無惨に殺して楽しむ。遺体は次々と地下に運ばれ、ポイ捨てされる。
・ヨカナーンに性的な興奮を覚えたサロメは、彼が地下牢に戻った後、自慰行為に耽る。
・7つのヴェールの踊りの場面では、サロメは宴の享楽対象となり、服を脱がされ(裸にはならない)、輪姦され(シーンとしては取り囲まれているので、直接的な目障りではない)、殺されはしないものの全身に切り傷を負わされる。
こうした点については、そこにクローズアップしてしまうと、確かに眉をひそめてしまうかもしれない。
だが、このオペラの本質は、そこではない。
要するに、本質から外れた箇所で目くじらを立てるのではなく、主たる登場人物のやりとりや音楽に集中していればいいのだ。そうすれば気にならないし、それどころか、音楽的な充実度、ダヴィッドセンを始めとする極上の歌唱からすれば、むしろ些細なことでしかない。
終演後のカーテンコールは、割れんばかりの大絶賛ブラヴォーが飛び交った。熱狂コールの先には、神々しさを湛え、後光が差した一人のディーヴァが立っていた。
私にとって、また一つ、伝説の夜が加わった。同じく鑑賞したMさん御夫妻にとっても、同様であろう。