2023年11月19日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール
指揮 トゥガン・ソヒエフ
R・シュトラウス ツァラトゥストラはかく語りき
ドヴォルザーク 交響曲第8番
演奏を聴きながら、私は前回14日の公演で感じ取ってしまった引っ掛かりの答えを、ずっと探していた。
「長年ウィーン・フィルが醸し出していた独特のサウンドの味わいは、本当になくなってしまったのだろうか?」
「ウィーン・フィルは、『唯一無二』から『世界的なオーケストラ』に変わってしまったのだろうか?」
この日の演奏では、前回ほどの微妙な引っ掛かりは感じなかった。「さすがウィーン・フィル」だと思った。相変わらず上手いし、芳醇で、艶があって、なおかつがっしりとした演奏だった。
その違いは何なのかと考えたら、14日とはプログラム、演奏された曲が違っていたわけなので、単純にそういうことなのかもしれない。「ツァラトゥストラ」はドイツ物であり、何度も演奏していて得意のシュトラウスということで、水を得た魚のように生き返ったのかもしれない。
ただ、「さすがウィーン・フィル」とは思ったが、「これぞウィーン・フィル」だったか、と言われれば、やっぱり完全には腑に落ちない。若干微妙なところではある。
「ウィーン・フィルが醸し出していた独特のサウンドの味わい」とは、いったい何なのだろう。
ウィーン・フィルの香り・・・
それは、演奏への自信と伝統への誇り、これらに対する強烈な自負ではあるまいか。
かつて、プンプンと漂い、音に表れていた。それが少し影を潜めた。今回も、「見栄を切らない演奏」だった。もしかしたら、メンバーの若返りが影響しているのかもしれない。
時代もまた変遷している。
かつて生息していた強権的独裁的な指揮者が絶滅しつつあるように、オーケストラにだって、時代の要請による変貌を迫られる。
もう「誰が振ろうが、悪ぃけど俺たちのスタイルは変えねえぜ」を貫ける時代じゃない。指揮者とコミュニケーションを図り、双方においてウィン・ウィンとなる演奏を構築することが求められる。
だとするならば、独特のサウンドの味わいが変化することも、私たちは受け入れなければならないだろう。寂しいかもしれないが、それが嫌なら、黙って昔の音源のCDでも聴くしかないのだ。
指揮者のソヒエフ。
私は彼のタクトをずっと凝視していた。彼の指揮は、音やフレーズに対する確固たる信念を感じさせるものだった。彼の頭の中には「こう振ればこのような音が引き出せる」という明確な完成形があるのだと思う。
一方で、オーケストラからの回答についても、おおらかに許容していた。
遠慮とは違う。妥協とも違う。ウィーン・フィルに対し敬意を払い、良い意味での距離感を作っていた。聡明な操縦術がキラリと光っていた。