2014年9月25日 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール
指揮 グスターヴォ・ドゥダメル
海外を除き、国内で個人的に今年もっとも楽しみにしていた公演。最大の期待はもちろんツァラトゥストラ。シュトラウスを愛する私にとって、絶対にはずせない。せっかくの生誕記念イヤーだというのに、扱われ方が今ひとつショボい中、今回の公演は絶好の機会であり貴重だ。
期待どおり、いや期待以上の演奏だった。これはもう「さすがウィーン・フィル」としか言いようがない。輝かしく強固なハーモニー、自然な流れでありながらその中で個々のパートが放つ能動的な音。
華麗なオーケストレーションに彩られている曲のため、オケの性能の高さを誇示するような演奏を耳にすることはよくあるが、ウィーン・フィルの演奏は極めて純音楽的あることが最大のポイントだ。それはあたかも、ツァラトゥストラが語ったというより、シュトラウスが語った芸術の神髄そのもの。これまで私が聴いてきたシュトラウスの管弦楽曲の演奏でも、群を抜く最高級であったことを断言する。長い間、これを待っていた。これを望んでいた。本当に感涙ものだった。
(ツァラをプログラムの前半に置く公演は時々ある。ワタシ的には疑問なのだが、ひょっとしてブラヴォーが出にくい終わり方に問題があるのであろうか?)
ただし、ウィーン・フィルの来日公演でシベリウスを持ってきてくれたことには感謝したい。独墺系の雄として、聴衆はどうしてもモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどを望んでしまうが、私としては色々なレパートリーを聴きたいと願う。ウィーン・フィルが兼ね備える懐の深さや柔軟性は、そうした多種多様なレパートリーから見つけることができる。それは我々の想像力を超絶するものだろう。今回のシベリウスは、まさしくそうした機会だったと思う。
さて、俊英ドゥダメルだが、この人物、やはり只者ではないと感じた。私はこれまで昨年のスカラ座来日公演でのリゴレットしか聴いたことがなく、その一回では評価を認定するまでに至らないと思っていたが、ようやくここで天才の天才たる所以を語ることが出来そうだ。
そのドゥダメルの天才たる所以については、本日の最終公演を聴き、揺るぎない確信を得た上で、改めて評することとしたい。