クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

モスクワの思い出

戦争によって、ロシアは果てしなく遠い国になってしまった。仮にコロナが落ち着き、いずれそのうち海外に行けるようになったとしても、この国に行くのは困難だろう。戦争が終結したとしても、勃発前の状態に戻るのになお数年かかるかもしれないし、もしかしたら、もう元に戻らないかもしれない。
心理的にも難しい。簡単に「よし、じゃ行こうか」という気になれない。我々が当然の権利として手にしている「自由」がいとも簡単に制限される国、隣国に侵攻して罪なき民間人を殺す独裁国家ということが、今回はっきり分かってしまったのだ。そんな国に、ノコノコと観光に出掛けるわけにはいかない。

残念だ。ロシアには行きたかった。本当に。
これまでオペラを観るために世界で約100の劇場を訪れ回って来たが、いくつか主要な劇場が欠け落ちている。
中でも「サンクト・ペテルブルク・マリインスキー劇場」は、その筆頭格。この劇場を訪れていないのは、オペラマニアを自認する私にとって、痛恨。「いつかそのうち」と夢見、何度か具体的な計画も企てたが、機会を逃した。

サンクト・ペテルブルクは、美術鑑賞愛好家にとっても憧れの都市である。世界「5大」とも「7大」とも言われる美術館「エルミタージュ」。仮にオペラがなくても、この美術館だけを目的に訪問したいくらいだ。

以前ヘルシンキを訪れた時のこと。中央駅構内の発車時刻案内パネルを見上げ、そこに行き先「サンクト・ペテルブルク」という表示を見つけて、「うわっ、ここから直行電車が出ているのかー!」と驚き、ため息を付いたことがある。
後で調べて、「観光ビザを取得するのなら、日本よりもヘルシンキの方が迅速かつ安い」ということを知った。「なるほど、そういう手もあるな」と思ったのだった。


行きたかったロシア。そのうち行けるような気がしたロシア。
と言いつつ、実は何を隠そう私は「足を踏み入れた」ことがある。
ただし、ビザを取っての正規入国ではない。

1990年11月、若造だった私は一人でウィーン旅行に出掛けた。この時、海外旅行はまだまだ駆け出しの4回目。
その2年前に親友Oくんと初めて観光で訪れたウィーンだが、この時音楽鑑賞は無し。オペラ、コンサートを目的とした初めてのウィーン旅行。その往復フライトで、私はアエロフロートソビエト国営航空を利用した。

アエロフロートにした理由は、ただ一つ。「安いから」である。
ていうか、それ以外にこの航空会社を利用するメリットは何もない。

当然モスクワ経由となるが、当時ウィーンへの同日接続便はなく、モスクワでの一泊が必要だった。宿泊代はちゃんと飛行機代に含まれていて、ホテルも航空会社が用意する。翌日便乗り換えの旅行者はモスクワ・シェレメーチエヴォ空港で係員の指示に従い、あたかも囚人の移送のようにバスに乗せられ、空港近くのホテルに連れて行かれるのであった。

このシェレメーチエヴォ空港で、ホテル移動のため待機している我々日本人に、一人のロシア人中年女性が声をかけ回っていた。何者なのかは不明。ロシア語訛りの英語で聞き取りにくいが、「モスクワ・シティ・ツアー」と言っている。
無視を決め込み、取り合わない人も多い中、勧誘に興味を抱いた数人が彼女から詳細を聞き出そうとしていた。たまたまだったが、私もその輪に加わっていた。

彼女の話はこうだった。
「1、2時間程度の市内観光バスツアー。宿泊ホテルから出発。ビザ不要。料金2千円。自分が同行し、案内します。」

どうです皆さん、あなたなら参加します??
「ビザ不要」と言っているが、本当にいいのか。ちゃんと当局の許可を得ているの? ヤバくない?

ところが、この怪しい申し出に乗った人が周りの中から4人、5人と現れた。そして、かくいう私も「大丈夫か?」よりも「面白そう」という好奇心の方が上回り、「自分だけじゃなく他にも何人かいるから、ま、いいか」とあっさり乗ってしまったのである。2千円なら、仮に騙されたとしてもそんなに痛くない、という打算もあった。
また、ルーブル払いでなくドル払いでもなく、「2千円」という円払いで良かったのも、気軽で警戒が緩んだ一因だろう。

これ、おそらく外貨稼ぎを目的とした手配師による闇ツアーだったと思う。だが、ツアーそのものはちゃんと催行された。参加者は数人だったので、用意されたのはバスではなく、ワゴン車だった。
市内の観光名所をいくつか巡り、その中にはボリショイ劇場(外観のみ)もあり、「ソ連マクドナルド第一号店」なんて笑っちゃうのもあり、最後に観光のハイライトとして、有名な「赤の広場」に降り立つ。レーニン廟があって、永久保存のため防腐処置の上安置された亡骸を見ることが出来た。

このツアー、時間帯としては「夜」。飛行機のモスクワ到着時間がそもそも夕方なのだから仕方がないとはいえ、観光、見学という面ではイマイチである。暗くて、写真も全然撮れなかった。赤の広場で参加者みんなで記念写真を撮ったが、当時の私のカメラは性能が悪く、出来上がった写真はピンボケのひどいものだった。
それから、とにかく寒かった。たぶん気温はマイナス5度を更に下回っていただろう。


そんな短時間の未知の国探検ツアーではあったが、30年以上前の旧ソ連(※)のモスクワは、私に強烈な印象を残した。
(※この翌年にソ連は崩壊し、ロシアになる。)

まず、街が暗い。めちゃくちゃ暗い。首都ですよ。なのに暗い。
なぜ暗いかというと、街を鮮やかに照らす電飾ネオンサインや広告看板がほとんど見当たらないから。さすが社会主義国家のソ連。もし当時のロシア人がラスベガス行ったら、きっと眩しくて目を開けられないだろう。

次に、市街を走行している車がボロい。本当に揃いも揃って皆ボロい。さすが崩壊寸前、経済どん底ソ連

トランジット用の滞在ホテルでの食事もひどいものだった。
着席のテーブルは一方的に決められ、ひたすら待たされ、メニューなんて無く、出された物を食べる。しかも不味い。
空港では、入国管理官に正々堂々、寄付金を要求された。「ドネーション」と言っていたが、ウソつけ、それ賄賂だろ? それに「タバコが欲しい」ともせがまれた。いずれも言っている言葉が分からないふりをして、シカトした。

でもおかげで、こうしたエピソード一つ一つが強烈な印象を残してくれた。ソ連の実態、鉄のカーテンの向こう側を垣間見ることが出来、逆の意味で良い思い出なのである。

下の写真は、ツアー参加者にみやげとして配られた写真カード(赤の広場)と、ツアー申込みで2千円払って受け取った参加証。(領収証か?)一応、記念品というわけだ。