2021年10月25日 内田光子ピアノリサイタル サントリーホール
シューベルト 4つの即興曲より 第1曲、第2曲
ベートーヴェン ディアベッリのワルツによる33の変奏曲
昨年、本当はマーラー室内管との共演で来日するはずだったが、コロナのせいで残念ながら中止。今回、満を持して単独リサイタルによる来日が決まったわけだが、発表されたプログラムは、メイン曲が2015年の来日リサイタル演目と同じベートーヴェンのディアベッリ・・・。
うーん、代わり映えがしない。
「別なものにしてほしかったよな」が、発表直後の正直な気持ちだった。
それでも、「行かない」という選択肢は無い。
たとえ同じプログラムでも、必ずや何か新しい発見が見つかるだろう。
それは、前回からの時の経過に伴う心境の変容かもしれない。あるいは、コロナの時代下で音楽に寄り添いながら生きていくための道標かもしれない。
内田光子なら、そうしたものをきっと提示してくれる。聴き手の我々は、そうしたものをきっと見つけられる。
ゆえに、「行かない」という選択肢は無い。
新しい発見というか、改めて「すごい」と感服したことがあった。
それは、演奏空間に「世界」が形成されることだった。内田光子の世界。
と言っても、このように独自の世界が創られるのは、今に始まったことじゃない。珍しくないどころか、毎回と言っても過言じゃない。
ただ、今回は更に世界の枠を飛び越え、広がりが宇宙にまで到達しようとしていた。
聴いている誰もが息を呑み、思考を停止させ、じっと音楽に耳を傾ける。意識して集中するのではなく、無意識のうちに専心、夢中の状態に引き込まれる。ステージ空間は神秘に包まれ、時間の経過は忘却の彼方へと去っていく。
ディアベッリ変奏曲は作品として長大であり、一つ一つのバリエーションの中にも様々な構成が詰め込まれているため、演奏によっては、聴いていて集中力が持続しないことがある。
だが、内田さんの演奏では、上に書いたとおり時間の経過が超越するので、長さが気にならない。
我に返ってハッと気がついたら演奏が終わっていて、そこに、盛大な拍手に包まれている一人の女性ピアニストがいた。その時、もう広大な宇宙空間はすっかり消え去っていた。時計を見たら、当たり前だが、時間はしっかりと経過していた。
やがて、意識をコントロール出来るようになると、自分の身体が硬直していたことが判明。どっと疲れが襲ってきた。なんだか、素晴らしい公演を鑑賞するために海外に出掛け、感激の思い出と共に日本に帰ってきて、そこでようやく一息ついた時の疲労感に似ている気がした。