クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2002/5/2 バイエルン州立歌劇場 アラベッラ

2002年5月2日   バイエルン州立歌劇場
R・シュトラウス   アラベッラ
指揮  ペーター・シュナイダー
演出  アンドレアス・ホモキ
シェリル・シュテューダー(アラベッラ)、レベッカエヴァンス(ズデンカ)、ベルント・ヴァイクル(マンドリカ)、レイモンド・ヴェリー(マッテオ)、アルフレッド・クーン(ヴァルトナー伯爵)、キャサリン・ウィン・ロジャース(アデライーデ)、イリーデ・マルティネス(フィアーカー・ミリ)   他


オペラを聴くようになって、すぐにR・シュトラウスの作品に魅了された。
そもそも、オペラにのめり込むきっかけになった作品が「ばらの騎士」だ。
その前から「英雄の生涯」「ドン・ファン」などといった管弦楽作品はよく聴いていて、親しんでいたが、彼のオペラ、「ナクソス島のアリアドネ」、「サロメ」、「エレクトラ」、「影のない女」などを聴き、ますますシュトラウスが好きになった。それどころか、栄えある「私の一番好きな作曲家」に成り上がった。

すぐに私は気が付いた。「シュトラウスの本領は、オペラにこそあり」だと。

そういうことなので、私の場合、海外に行くチャンスが巡ってくると、常に「どこかでシュトラウスのオペラをやっていないか?」という思考回路が働く。それはこうした成り行きの結果だった。
今回の旅行の最終日にどこで何を聴くかを検討し、バイエルン州立歌劇場の「アラベッラ」を見つけた瞬間、旅行を締めくくる場所がミュンヘンに決まったのは、至極順当だったと言える。
何と言っても、ミュンヘンシュトラウスの生誕地。ここで彼の作品を鑑賞できるのは、とてもスペシャルなことなのだ。
(「アラベッラ」日本初演となった1988年の同劇場来日公演に行かなかったという心残りの払拭の機会でもあった。)

私は大いなる期待を抱き、ナツィオナル・テアターを訪れた。
だが、しかし・・・。

感想は「まあまあ」、満足度は「中くらい」。何だか中途半端で、スッキリしない感が残ってしまった。うーむ・・・。

原因ははっきりしている。二つある。

まず、ホモキの演出である。
彼の演出コンセプトは「お金」だった。
世の中、お金。
アラベッラ一家が没落寸前なのも金のせい。娘を玉の輿に乗せて嫁がせたいと企むのも金目当て。
マンドリカは所詮、成り金。アラベッラが成り金マンドリカと結婚しようと決めるのもやっぱり金目当て。すべて金、金・・・。
やれやれ身も蓋もないのう。

確かにこの作品にはそういう一面はある。だから、その観点で見つめること自体はあながち的外れではなく、ホモキの切り口はもしかしたら鋭い指摘であり、鋭い警鐘なのかもしれない。

でも、それは「ある一面において」であって、作品のすべてではない。私はそう思う。
それを、いかにも作品のすべてであるかのごとく露骨にやればやるほど、作品がみずぼらしく、安っぽくなる。それは、シュトラウスの美麗な音楽と相交わらない。

演出家に尋ねたい。
この物語の真実が「所詮は金」なのだとしたら、クライマックスでアラベッラが階段の上から歌う神々しいほどに美しいアリアは、いったい何なのか、と。
なぜ作曲家はあれほど美しいアリアをアラベッラに捧げたのか、と。

私は信じる。
たとえアラベッラの心のどこかに「金持ちと結婚して幸せになりたい」という下心があったとしても、最終的には、神様の導きと自らの真心に従い、純粋な愛を信じて、運命の出会いを受け入れた。

なぜなら、音楽がそうなっているから。音楽がそのように語っているから。


スッキリしなかった原因、もう一つ。
アラベッラを歌ったシェリル・ステューダー。

この日の歌唱は冴えなかった。
というより、忍び寄る衰え、陰りが露呈していた。

彼女は一世を風靡した歌手だ。ワーグナーヴェルディの両方をハイレベルで歌える世界的にも稀で貴重な歌手で、スカラ座を始め、世界の一流歌劇場から引っ張りだこだった。
まさか、こんな現実を見せつけられるとは・・・。ショックだった。

一方で、体重は更に増えたみたいで、一回りデカくなり、動きが緩慢、いかにも重そうだった。
同じく貫禄のあるヴァイクルと抱き合った時は、思わず「相撲かっ!」と突っ込んでしまった(笑)。

私がステューダーの姿を見たのはこれが最後。やがて、いつの間にか檜舞台から姿を消していった。
峠を越した歌手の落ち目を図らずも目撃してしまうというのは、なんとも寂しいし、辛い。


2002年フェストターゲとチャンピオンズリーグ準決勝の旅行記、おしまい。