クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

心が和んだ光景

 バイエルン放送響ベト・チクルス三日目の11月30日。私はいつものとおり‘貧民席’のP席に陣取った。正面1階席最前列に、一人の女の子が座っていた。P席からステージを挟んでちょうど真向かいだったので、よく見えた。おそらく10歳くらい。あどけない表情がとても可愛らしい。クラシック好きのご両親に連れられて来たのだろう。家族揃って超一流のクラシックコンサートに出かけるなんて、実に素敵だ。しかもS席で!
 
 だが、10歳そこそこの小さな子供にとって、果たしてどうであろうか?
 最初のうちこそ日常世界から離れた空間に心が躍り、目の前に繰り広げられる演奏に興味津々で聞き入っても、いつかそのうち飽きが来る。バタバタと体を動かすことも出来ず、声を出すことも出来ず、退屈してくる。心地よい音楽は格好の子守唄となり、やがてまどろみがやって来る。
 小さな子供にとって、それは仕方がないことだ。「じっと聞いていなさい」という方が無理なのだ。「豊かな感受性を育てたい」というささやかな親の願いは虚しく散るのだ。
 
 私は自分の幼少体験を思い出す。
 私の初のクラシック体験は、小学4年生の時にNHKホールで聞いたウィーン・フィルムーティ指揮)である。もちろん、親に連れていかれただけだ。それがどれほど贅沢で、どれほど素晴らしい公演なのか、いたいけな坊やにとって、知るはずもない。
 メイン曲は「新世界より」だったが、第二楽章の例の家路の旋律しか知らず、あとはチンプンカンプン、感動のかの字もなかった。ああ、なんてもったいない高価なチケット代・・・。
 
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 私はヤンソンスバイエルン放送響の極上の調べに身を委ねつつ、チラチラと女の子の様子を伺った。落ち着かない様子が見受けられたら、「ああやっぱり。無理もないよね。」と薄笑いの一つでも浮かべるつもりだった。
 
 女の子は、最初から最後まで目をキラキラ輝かせながら聞いていた。その表情は幸せに満ち溢れていた。素敵な音楽に喜びいっぱい、嬉しさいっぱい、演奏に聞き入ることが楽しくて仕方がないという感じだった。旋律に合わせて小さく首を動かし、音楽に乗っていた。それがまたとても可愛かった。
 ひょっとしたら、女の子はこの日のプログラムの曲を知っていたのかもしれない。物心ついた頃からクラシック音楽に慣れ親しんでいたのかもしれないし、あるいはこの公演にむけてご両親と一緒に家で予習をしたのかもしれない。いずれにしても、彼女は嬉々として音楽と一体となっていた。
 
 女の子は交響曲2曲を最後まで聴き通した。演奏が終わると、満面の笑みを湛えた。心の底から演奏会を楽しんだ様子だった。ヤンソンスがカーテンコールで再び登場すると、最前列にいた彼女はステージに手を伸ばすかのように、手を大きく振るかのように拍手を贈った。ヤンソンスが引っ込むと、今度は目の前にいるヴァイオリン奏者に向かって大きく手を伸ばしながら拍手を贈った。
 
 なんて美しく、和やかな光景だろう。そこには、音楽の歓びがあった。
 音楽を心の底から楽しむ姿に、感動したという気持ちをストレートに表す姿に、私は胸を打たれた。子供が持つ素直な心。大人に欠け落ちている純粋な心。芸術鑑賞で一番大切な心を、私は改めて女の子から教わった。
 
 残念ながらマエストロは、この小さなお客様の存在に気が付かなかったようだ。だが、彼女の目の前で弾いていた女性のヴァイオリン奏者はしっかり気が付いていた。カーテンコールが終了して楽団員がステージから引き揚げる際に、女性奏者は女の子に対して手を振って答礼した。女の子の表情がさらに一段と輝いた。それはささやかだが、心のこもった交流だった。
 
 ヴァイオリン奏者にとっても、きっと嬉しい出来事だったに違いない。舞台裏で、「とっても可愛いお嬢さんがいたわよ!」と仲間に報告をしたんじゃないかな。
 
 心温まる素敵なシーンだった。